おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

「塞でんなぁ〜」「砲でんなぁ〜」4

今回ご紹介する「楠葉台場跡」(くずはだいばあと)は一見目立った石垣もなく、芝生の広場のようです。

国史跡樟葉台場跡」の看板がなければ、単なる広場に見えます

平成二十三年(2011)国の史跡に指定され、現在「楠葉台場跡史跡公園」として整備されていますが、平成十七年(2015)に古文書からその場所が特定されるまでは発掘調査も行われていませんでした。

看板に書かれた「国史跡楠葉台場跡」の文字が、すぐそばを通る京阪電車の車窓に向けてその存在をアピールしているようです。

数分おきに京阪電車が通ります

京阪電車の本線は、大阪淀屋橋~京都出町柳を走っていますが、海沿いの路線はありません。また楠葉台場の最寄駅は「橋本」駅。京都府に入ってすぐの駅で、地図でいうとずいぶん淀川を遡った↓の場所です。(地図右上)

淀川を遡ってこんなに京都寄りの場所です

幕末に造られた台場・砲台は、海沿いに造られるのが普通ですが、内陸に入った河岸に造られた例は、この淀川左岸の楠葉台場と、対岸(淀川の右岸)の高浜台場のみです。

前回ご紹介した西宮砲台と同じく、この楠葉砲台も文久三年(1863)に建設が開始されましたが、外国船が淀川を遡って京都に攻め込むことが無いようにと、計画を建白したのは京都守護職松平容保で、勝海舟が奉行となり建設を主導しました。

この地への建設と同じ時期に、大阪~京都間の街道を付け替え、この台場の中に造られた番所を通るようにしています。

楠葉台場番所跡 向かって左が南側です

文久三年(1863)という年には前回ご紹介した馬関戦争の他、長州藩を朝廷から排除した八月十八日の政変などが起こっています。台場と隣接した場所に、淀川の通航監視のための船番所も設けられたことから、この番所は京都に長州藩士や攘夷浪士など、反幕府側の人物を京都に入れないための関門と要塞の役割を果たしていました。

南側の大坂方面から攻め上ってくる船や軍を迎え撃つことを想定して南側に防御と火力を集中する形で築かれ、慶應元年(1865)に完成しています。

他の台場・砲台と異なっているのが、この場所が実際に戦場となっていることです。その話は次回に。