おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

押しかけて横浜

新橋~横浜間の線路は開通しましたが、建築師長(技術主任)であったモレルは完成の約一年前、明治四年(1871)11月5日にわずか30歳でこの世を去っています。すでに来日した時から肺を患っており、インドで転地療養を行うことも許可されていましたが、それもできない程悪化した末、結核が彼の命を奪ったのでした。

イギリスにいた時に結婚し、日本に帯同(モレル来日の2ヶ月後に来日)していたハリエット夫人も、モレルの死の12時間後に25歳で亡くなります。神経または呼吸器系の急性疾患による死亡とされていますが、おそらく不眠不休での看病による衰弱と夫の死による精神的なショックが原因と思われます。 

日本に滞在した一年半、この路線の建設に関わるだけでなく、鉄道の分野に限らず、産業発展と人材育成にも貢献しています。日本政府は彼の功績を讃え、死の翌々日に執り行われた葬儀の費用を負担し、明治天皇は悔み状を添えて金1,000ポンドを下賜しています。(夫人も亡くなっているので、両親に贈られたのでしょうか)

モレルは横浜元町の外人墓地に葬られました。

横浜山手町 外人墓地正門

エドモンド・モレルの墓

モレルの死後、副主任のジョン・ダイアックらが遺志を継ぎ、日本初の鉄道は完成します。

明治四年(1871)夏頃には既に横浜〜神奈川間で試運転が始められ、同年11月の六郷川橋梁の完成で、試運転の区間は品川まで伸ばされました。試運転に乗車した大久保利通は、「百聞は一見に如かず 愉快に堪えず」と日記に残し、これまでの鉄道反対派から一転鉄道支持に鞍替えし、政府高官らの理解も進んでいくことになります。

この試運転の時期から、線路を走る蒸気機関車を見ようと、弁当持参で沿線に見物にやってくる庶民も多く詰めかけたようです。

西洋暦10月14日(旧暦9月12日)が鉄道記念日とされ、今年150周年を記念し、各地でイベントが行われています。が、明治五年(1872)のその日は正式開業が行われた日で、実際には約4ヶ月前の6月12日(5月7日)から、品川〜横浜間で既に一般の乗客を載せて仮営業が行われていました。

次回は、この仮営業時のエピソードと、正式開業の当日などご紹介していきます。