おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

孫にも一笑

さて、この開業式典は「東京駅」の乗車口であるホールをメイン会場として開催されています。330坪の広さを持ち、ドーム型の天井の八方に十二支レリーフがはめ込まれていています。(丑寅辰巳未申戌亥の8つで、十二支-八方のため、子卯午酉の4つがありません)

開業式のセレモニーが開かれた乗車口ホール(2階回廊より)

国立国会図書館デジタルコレクションで「東京駅開業祝賀会及凱旋将軍歓迎会報告書」を検索すると、表題の報告書を目にすることができます。「さしもに広き三菱ヶ原頭も唯見る一面の人の山人の海  その盛観壮況殆ど名状すべからず」「開業式は駅の一室に於いて挙行せられ」と記されています。

式典はいったん閉会の辞の後、来賓のお客たちはいったん2階で休憩したようです。その後、10時過ぎ、合図の駅鈴の音が鳴り、一同はプラットフォームに誘導されました。

ここから式典は「凱旋将軍歓迎会」に移ります。大正三年(1914)というと、第一次世界大戦が始まった年です。日本も日英同盟に基づき極東の地で参戦したのですが、ここでいう「凱旋将軍」とはドイツの極東基地であった青島(チンタオ)を攻略・降伏させた司令官、神尾光臣(かみお みつおみ)中将のことです。

ドーム天井のレリーフのうちの一つ「巳」

11月7日、ドイツ軍降伏により、青島要塞は開城します。この神尾将軍の帝都への凱旋を、東京駅の開業式に合わせたのでした。電化工事が完了したばかりの横浜高島町駅を出発した電車に、品川駅から将軍たちを乗せ東京駅で出迎えようというのです。

10時30分過ぎ、花火と楽隊の演奏の中、東京駅第一ホームに電車が到着します。ホームに降り立った将軍に大隈首相が歩み寄り、握手を交わします。その瞬間の撮影のため、無数のフラッシュが光ったことでしょう。

万歳が飛び交う中、六歳くらいの子供が将軍に向かって国旗を振りながら歩み寄って、「祖父ちゃん万歳」と叫ぶと、将軍は喜びの眼差しを子供に向けました。

いかにも微笑ましい情景ですが、子供は、将軍の次女の安子さんの次男敏行くんで、その父親は有島武郎といいました。すでにこの時、安子さんは肺結核を発症しており、2年後にはこの世を去ります。その死後本格的に小説家の道に進んだ父も7年後には人妻の婦人記者と恋に落ち心中を図ることとなるのですが、この日の開業・凱旋の晴れがましい場所ではそのような悲しい未来は想像だきできなかったことでしょう。

さて、駅での歓迎の後、将軍は馬車で宮城へ向かいました。ここまで開業式典は順調に進んだのですが・・午後、一転トラブルに見舞われます。

その話は次回で。


凱旋と孫、有島武郎

次回はトラブル