おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

式典、罵倒

この日は東京駅開業日に併せて、もう一つイベントがありました。神尾将軍は横浜・高島町出発の電車に品川から乗り込んで東京駅に着いた、とご紹介しましたが、今度は議員たち来賓者を乗せて東京から横浜まで乗せて往復する、というものです。このあたり、新橋~横浜の開業式と似た感じですね。

桜木町駅構内に描かれた高島町駅

翌々日の12月20日から「京浜線」(後に東京以北に伸び「京浜東北線」として現在に至ります)として開業することが発表されており、その路線のお披露目会というべきものでした。
東京駅開業前の仮駅であった呉服町〜品川間は既に電車が走っており、これを横浜まで伸ばした訳です。高島町駅はその「京浜線」電車の終着駅にあたっていました。

東京から横浜までを40分で結ぶ、というのがこの電車線の触れ込みです。

12時45分、東京駅をこの路線用に製造された新鋭電車(デハ6340系電車)が出発します。13時半過ぎには高島町に到着する計算なのですが、品川まで順調に進んでいた電車は、品川を出たあたりからおかしくなります。速度が出なくなり、ついには鶴見と子安の間で立ち往生。高島町に着いた時には2時間以上が経過していました。

すぐに折り返し東京駅に戻るものの、到着は16時45分でした。12月の17時前といえばもう日暮れ時です。2番電車は鶴見で運転を打ち切り、3番電車の東京駅到着は17時16分という、散々なお披露目になってしまいます。

冬の夕暮れ後の東京駅 今ならそれなりに明るいですが・・

招待客もこの失態に怒り出し、仙石鉄道院総裁は翌日の新聞にこの失態の謝罪文を掲載せざるを得なくなります。

この失態の原因には、「京浜線」開業のお披露目を東京駅開業に無理やり合わせた日程にありました。突貫工事の上に、試運転も十分に行われておらず、突き固めの足りない新しい線路に、重い新型電車を走らせたことで線路が沈下し、パンタグラフと架線が届かなかったり引っかかったりしたことで立ち往生してしまったのです。

翌々日20日の午前0時、最終電車を送り出した新橋駅では延々と作業が行われていました。その作業とは、次回にご紹介します。