江戸時代に菊園芸は全国的に大きく発展したわけですが、宝暦五年(1755)には『菊経』という菊の栽培書が刊行されています。菊の栽培が大きなブームとなったのが正徳年間(1711~16年)で、京都から始まった「菊大会」「菊合わせ」は勝った方の菊の苗に一両から三両三分という高値が付けられたことで、投機熱を煽りました。その熱が江戸にも飛び火し、多くの品種が生まれ、見せ方としての「仕立て」の工夫がなされるようになりました。
菊の品種ですが、花びらの大きさで分けると「大菊」「中菊」「小菊」となり、身も
明治時代以降は「大菊」が盛んに作られて、菊祭りの品評会などで
「大菊」は花の直径が18cm以上のもの(きっと昔は6寸と
厚物(あつもの)∶数百ある花びらの先端が中心に向かって少し重なりながら盛り上がってい
厚走り(あつばしり)∶厚物の応用形といっていいのでしょうか、
大掴み(おおづかみ):「厚走り」の変化形で、奥州八戸で栽培改良されたことから「奥州菊」又は「八戸菊花」とも言われます。「厚物」の盛り上りの部分が、手で掴んだような形になることからこの名前があります。
以上は、いかにもな菊のイメージのバリエーションですが、花びらの形が変化した菊もあります。次回はそうした大菊の品種をご紹介します。