子供の頃、阪神間に住んでいて、甲子園球場の東側に道路を挟んで「阪神パーク」という遊園地(2003年に閉園)がありました。個人的に動物園としてのイメージが強いのは、世紀の珍獣「レオポン」(ヒョウとライオンを交雑させたもので、日本にはここしかいませんでした)のせいかも知れません。その「阪神パーク」の秋の一大イベントが菊人形でした。関西では枚方パークと阪神パークが菊人形で有名で、その年の大河ドラマのシーンをいくつか再現していたような気がします。子供心には「菊人形は綺麗なもの」というより、とにかく「人形が睨んでいるようで怖い」ものでした。
で、菊人形ですが、江戸染井で始まった「菊細工」が一方のルーツにあたります。最初は宝船や鶴などの縁起物の形に細工するものでした。それが弘化元年(1844)、巣鴨霊感院のお会式(えしき)で人形を菊で飾ったのが始まりとされています。お会式、というのは日蓮宗の仏事で、宗祖日蓮上人を偲ぶ行事と考えると判り易いと思います。その際の人形は「日蓮の滝の口御霊」「蒙古退治」を表したものでした。
もう一方はというと、19世紀中頃の嘉永年間に大坂の人形師大江忠兵衛が歌舞伎役者の似顔絵で等身大の人形を作って「生き人形」と名付け、見世物としたというもの。「生き人形」は等身大で実際に生きている人間のように見えるほどの精巧な細工が施されていました。
現在に受け継がれている菊人形は、この菊細工と生き人形が合わさってできたといえます。東西の文化の融合、というのが面白いですね。
安政頃、団子坂の植木業であった「植梅」が歌舞伎を題材にした菊人形を手がけて評判となりました。すると、近隣の園芸業者が競うように菊人形を手がけ、「団子坂の菊人形」として大いに有名になり、見世物興行として盛んになりました。ここで飾られた菊人形は、有名な歌舞伎の名場面を題材にしていて、人形の顔も当時の人気役者に似せて作られたと伝わっています。
菊人形の話、続きます。