おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

ヤバいは気から

刃傷事件後に浅野内匠頭を取り調べた時の記録によると、「私は持病に痞(つかえ)があり、物事を取り鎮めることが出来ない」ということを証言していたといいます。また、吉良の傷の手当を行った医師、栗崎道有(くりさき どうう)が遺した記録によると、浅野は癇癪持ちであったとも。こうしたことを踏まえ、精神科医から出た説が「持病(精神病)説」です。
「痞つかえ」とは、当時の医学書によれば「腹にものがあるかのような違和感があるが、実体がない」状態を指すようです。何だかよくわからない記述です。イメージとしては、「胸になんだかつっかえたようなモヤモヤして気が晴れない感じ」でしょうか。この精神状態が統合失調症まで進行し、最終的に発作が出て刃傷に及んだ、というのがこの説の趣旨です。
また、過去に内匠頭の母方の弟、すなわち叔父も刃傷事件を起こしており、これが松の廊下の事件と似ていることから、精神病の血が浅野にも受け継がれていたのではないかという説もあります。

この叔父が起こしたという事件をご紹介していきましょう。

増上寺 ここでも刃傷事件がありました

志摩鳥羽藩の藩主であった内藤和泉守忠勝が延宝八年(1680)6月24日に起こした「増上寺刃傷事件」がそれです。増上寺は上野寛永寺並んで、徳川家の菩提寺として知られています。四代将軍家綱の77日法要の際、事件は起きました。
内藤忠勝は参詣口門の警備を命じられ、同じく出口勝手門の警備は後宮津藩主の永井尚長が受持っていましたが、両人は普段から仲が悪かったのです。
職務上、尚長は忠勝より上席にあったことから忠勝を侮り、老中から受けた翌日の指示書を忠勝に見せず立ち去ろうとします。忠勝は指示書を見せるように求めますが、尚長はこれを無視します。

忠勝はこれを恨んで脇差を抜いて尚長に迫ると、逃げる尚長の長袴を踏みつけました。動きを封じられた尚長が前のめりに転んだところを刺し殺した、というのが「増上寺の刃傷事件」です。

この事件の処分や「精神病」の内容については次回に。