おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

言うは易く 行うは仇(かたき)2

12月2日に、深川八幡(現在の富岡八幡宮)前にあった大茶屋に一同が集まります。「頼母子講」の集まり、という名目での会合でした。「頼母子講」とは「無尽講」ともいい、参加者が積立したお金を集め、会合で参加者の一人がそのお金を受け取る、という仲間内の扶助的な集まりです。誰が集めたお金を受取るかについては、参加者が集まってくじなどの抽選で決めるのが一般的でした。抽選を行う会合であれば、大人数の集まり(しかも浪人風)でも怪しまれないで済む、と考えたのでしょう。

深川八幡(富岡八幡)に赤穂浪士達も仇討の成功を祈願したのでしょうか

映画「決算!忠臣蔵」の中では、討入に当っての人数配置や心得を確認するなどの他に、装備に何が必要か、という意見が交わされます。あれやこれや必要なものが増えるたびに、画面隅の残金が減り、大石の眼が虚ろになっていくのが笑いどころです。
その話はさておき、この会議で討ち入りの日程と手筈が決められました。前に紹介したように、屋敷の部屋の配置がわからなければ人の配置も決められません。また、吉良は隠居の身で役務に束縛されない立場で、上杉藩邸に滞在することもしばしばでした。上杉藩邸は江戸城桜田門のそばにあり、吉良邸とは5kmほど離れた場所です。

討ち入りの日に仇がいなかった、では話になりません。そのため、吉良邸の内部の様子を知ることと、吉良の在宅の日がいつなのか、を探るのがかねてからの重要課題となっていました。
吉良邸の内部の情報収集については、8月にはすでに江戸急進派の堀部安兵衛倉橋伝助杉野十平次勝田新左衛門横川勘平吉田忠左衛門などが吉良邸周りの夜回りを開始しています。が、情報収集のためとはいえ、この行為は怪しすぎて吉良方に疑念を持たれることになる、と取りやめになりました。
次に吉良邸の裏門近くに店を出していた前原伊助神崎与五郎が情報収集にあたっています。外側からいくら邸内を覗いたところで部屋の配置などを知ることはできません。が、10月までに吉良邸内の見取り図を入手しています。創作では吉良邸の女中と良い仲になった岡野金右衛門が入手した、ということになっています。女中の父親が吉良家の普請を請け負った大工の元締めであったことから、そのつてで手に入れたというのですが、寺坂吉右衛門の残した記録に「内縁を以て」と書かれていることから、このルートではないものとされています。

吉良邸裏門跡の案内板

実際の入手経路は明らかではないですが、部屋の配置はわかりました。次は吉良の在宅日です。それについては次回に。