おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

吉良 KILLER TEAM

討入りを果たした赤穂浪士の数は四十七ですが、大石が11月29日に作成、内匠頭の妻瑤泉院に提出した書状には仇討の参加者は50名となっていました。そこに名前があった矢野伊助・瀬尾孫左衛門・毛利小平太の3名が直前に脱盟したからです。

四十七士は本所にあった堀部安兵衛杉野十平次の借宅で火事装束に着替えていますが、それに先立ち、大高源吾は茶の湯の師匠、山田宗偏のところへ茶の湯用の自在竹(釣釜を吊るすのに用いる竹製の自在鉤)を持っていき、改めて本日吉良邸で茶会が催されることを確認しています。失敗は許されない討入りですから、念には念を入れていますね。

泉岳寺 大高源吾の墓

それぞれの集合場所を出立したのは午前4時ごろです。14日に茶会が行われているので、現在の時間間隔では夜中の12を過ぎており、15日じゃないの?と思うところですが、当時の日付・時間の考え方では1日の始まりは夜明けからでした。ゆえにまだ夜が明けていないので日付は14日なのです。

吉良邸の敷地は約2,550坪ありましたが、現在公園として残るのは30坪足らずです

今の本所松坂町公園を見て、こんなところ?と拍子抜けしますが、実際はこの85倍の広さがありました。当然、門は一つだけでなく表門・裏門を備えています。そのため表門を襲う隊と、裏門の隊とに分かれ、前者は大石内蔵助が、後者は大石主税(ちから)が率います。表門隊は梯子を使い塀を乗り越えて吉良邸に侵入、裏門隊は掛矢(かけや)で門を打ち破って侵入しました。掛矢というのは両手で用いる大型の木槌で、元々は火消の際に延焼を防ぐため家屋を打ち壊すための道具です。火事装束がここでも役に立ちました。表門隊は侵入するとすぐに、「浅野内匠頭家来口上書」を入れた文箱を竹竿にくくりつけ、玄関の前に立てました。この口上書は大石を筆頭に四十七士の連名で書かれていて、何のための襲撃かを世に知らしめる意味がありました。

一方、裏門隊は「火事だ!」と叫んで周り、家臣たちを混乱させています。

さて、本日は2022年の大晦日。当初今年中にこの稿を終わらせる予定でしたが、なんと年明けに仇討の続きを書く、ということになってしまいました。襲撃後の話は次回に。