万葉集に詠まれた植物の数でいうと、1位と2位は萩(141首)に梅(118首)。3位は「松」で79首。4位5位が「橘」(68首)「桜」(50首)という順番です。松も花をつけるものの。その花を詠んだ歌はざっと見たところ見当たりません。
「待つ」と「松」をかけて詠まれた歌や、海沿いの松原の情景を詠んだ歌、などと共に、歌の中に「結ぶ」を含む歌もいくつか見られます。
磐代(いわしろ)の浜松が枝を引き結ぶ真幸くあらばまた帰りみむ
家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
の方でしょうか。いずれも辞世の歌として知られます。孝徳天皇の皇子であった有間皇子は療養していた白浜温泉(当時の名で牟婁の湯:むろのゆ)で、謀反の疑いで捕らえられ、護送中の磐代(和歌山県みなべ町)の地でこの歌を詠みました。中大兄皇子(天智天皇)の政敵で処刑されることが想定できる状態です。「枝を引き結ぶ」行為は、松の枝と枝とを紐などで結び合わせて無事、安全を祈るおまじない的行為を表します。
おまじないを行った有間皇子は、運が良ければまた帰って来られるだろう、と詠っているのですが、彼の置かれた政治的な位置はそれを許さず、その後絞首刑に処せられるのでした。
たまきはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとぞ思ふ
こちらは大伴家持の歌で、人間の寿命というものはいつ果てるともわからない短いものである。こうして松の枝を結ぶ心のうちは、互いに命長かれと願ってのことだ、という意味のようです。
いずれの歌も、松の枝を結んで安寧・安全を祈る当時の風習があったことがわかり、当時の人と松の精神的な関係を表しています。
松と日本人の話が続きます。