おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

側室!発幸

話は永光院ことお万の方に戻ります。春日局とお万の方の間でドラマのようなやりとりがあったかどうかはわかりませんが、家光より春日局の後を継いで大奥を取り仕切るように命じます。

大奥において、将軍との間に男児を出産すると「お部屋様」となります。(女児の場合は「お腹様」と呼ばれました)お万の方は「お部屋様」にも「お腹様」にもなることはありませんでしたが、家光から最も寵愛された側室としてその地位を得たのでしょう。

春日局の跡を継ぐ形で お万の方は大奥を取り仕切ることになります

さて、家光は側室との間に五男一女をもうけています。一女(千代姫)の母である「お振の方」=自性院についてはすでに触れました。「お部屋様」となった他の側室をご紹介します。

お楽の方(宝樹院):寛永十四年(1641)に男児、のちの四代将軍家綱を出産します。ドラマではお万の方との間に子ができないため、春日局が家光の新たな側室として連れてきた設定ですが、史実でも、江戸で古着商の娘として店の手伝いをしていたところ、浅草への参詣帰りの春日局の目にとまり、春日局の部屋子として大奥に入った後、家光の「お手つき」となりました。呉服の間で他の奥女中たちに故郷(江戸にでる前は下野の国の農民の出でした)の麦搗き歌を歌っていたところ、その歌が家光の耳に入ったのが側室(お手つき)となったきっかけと伝わります。

ドラマでは、家光から「お気楽そうだから」と名付けられましたが、実際は当初「お蘭の方」という名であったのを。蘭=乱に通じるということで「お楽の方」と改名したそうです。

江戸城(皇居)東御苑の桜 2019年3月23日撮影

また、ドラマでは喜んだ拍子に廊下から庭へ転げ落ち、頭を打って半身が麻痺してしまうちょっと情けない役回りでしたが、実際に病弱だったのか、家光が慶安四年(1641)に亡くなると、一年後その後を追うように32歳で亡くなっています。

 

お夏の方(順性院):京都の町人の娘で、御台所(正室)鷹司孝子付の女中として江戸城に入りました。「お末」という将軍お目見え以下の役職でしたが、家光が大奥で入浴する際に世話をする「御湯殿」の役を任された際に「お手」がつき懐妊、男児を出産します。この男児がのちの甲府宰相綱重(六代将軍家宣の父親)となります。

次回はこのお夏の方と、ドラマ内でその晩年を竜雷太さんが演じたお玉の方「桂昌院」をご紹介します。