おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

後継の光景2

三代将軍家光は、後継として早くから竹千代=家綱を決めていたようです。そして寵愛する「お万の方」に「春日同様」に奥向きを取り締まるように命じ、これによりお万は大奥の支配者となりました。

ドラマではお万=有功が家光に願ったように描かれていましたが、子をなさなかった側室を大奥の支配者にするには将軍の一声が欠かせなかったと思います。ここには家光のバランス感覚があらわれているような気がします。

小石川傳通院の鷹司孝子:本理院(家光正室)の墓

正室の鷹司孝子とは夫婦の交わりがなく、家綱の生母であるお振は病弱(家光没後の翌年、32歳で亡くなっています)です。生育した男子の生母としてはお夏・お玉がいましたが、この二人が犬猿の仲・・・。奥向きをしっかりまとめていける人物として家光がお万を選んだのは、その寵愛から側室や女中たちの腹に落ちる人選であったのに加え、中立的な立場であったことも影響していると思います。

実際、お夏・お玉の両名とも家光の死後に落飾して尼となりましたが、お万は尼とはならず「お梅の局」と名を変え、大上臈として再び大奥勤めを始めたといわれます。漫画「大奥」の参考文献として最初に名前が挙がっている、吉屋信子さんの「徳川の夫人たち」では、お万は正室孝子にも細やかな気配りをし、四代将軍家綱も母のように慕い、乳母の矢島局を大いに嫉妬させています。

お万=永光院は正徳元年(1711)、88歳の長寿を全うし、傳通院の北側にあった無量院に葬られました。六代将軍家宣の時代です。

お万の方=永光院は伝通院の真北の無量院に葬られました

残念ながら現在は廃寺となり、寺内にあった墓地は雑司が谷霊園内に移転したそうですが、お万の方のお墓がどれかはわからなくなっているそうです。

無量院があったと思われる場所 往時を偲ばせるものはありません

お万の方というバランサーが家綱を支えましたが、家綱に継嗣がなく、後継将軍をだれにするかについては若干の混乱がありました。それについては次回に。