おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

SOBAYA ソバヤ2

牧野成貞と柳沢吉保の二人は、いずれも綱吉が将軍になる前からの家来ですが、年齢的にみると、綱吉から見て、成貞は11歳年長、吉保は13歳年下。側用人に任ぜられた時期は成貞が天和元年(1681)、吉保が元禄元年(1688)。

そうした年齢差と登用の時期の違いを踏まえ、「大奥」原作漫画では専ら綱吉と吉保、桂昌院が前面に出た構成となっています。ドラマでは倉科カナさんが演じていました。

元々、綱吉の小姓として仕え、上記の通り側用人に登用されると1万2000石に加増され上総佐貫藩藩主として大名となりました。その後度々の加増を受けるとともに、川越藩主(7万2000石)へ栄転(と当時は言いませんが)しています。

現在に残る江戸の名園「六義園」は吉保が拝領した駒込加賀藩主旧邸に、吉保自身が設計、7年の歳月をかけて造られた庭園ですが、この地を拝領するにあたっての理由に「生類憐みの令」が関わっています。

駒込六義園」(りくぎえん)は江戸を代表する名園として知られます

「生類憐みの令」が発せられたことで、幕府は犬を保護する施設として「犬小屋」を作らざるを得なくなります。側用人(この人物も!)で喜多見藩主の喜多見重政が自領に「御犬屋敷」を設けたのが最初です。重政は犬支配役を担当しており、この御犬屋敷は主に病気の犬を収容する施設でした。が、元禄二年(1689)、「将の意向に背き、勤務を懈怠している」というの理由で改易されてしまいます。(桑名松平藩にお預けとなり、四年後その地で「餓死」しています・・)

改易後は喜多見領は天領となり、犬小屋係下役が配置されました。先に述べたように、この施設は病気の犬を収容するものでした。しかし、幕府は「生類憐みの令」のために野犬対策のための施設も作らざるを得なくなります。その話は次回に。