「黄金の日々」初回を見直してみて思ったのが、冒頭から主人公を取り巻く人物像が巧みに織り込まれていたこと。大河ドラマのような長期にわたるドラマでは、視聴者が主人公や周辺の登場人物に感情移入する時期はなるべく早いほうが良いに決まっています。そのため最近のドラマは「初回○分拡大スペシャル!」とかやっていますが、「黄金の日々」ではその手法は使われていませんでした。

主人公「納屋助左衛門」はこれまで大河ドラマが扱ってきた織田信長や豊臣秀吉、赤穂義士などと比べてなじみのない人物ですから、視聴者に予備知識がない分、周囲の著名な人物から主人公や堺の置かれた立場をうまく紹介していました。
また、主人公と行動を共にする、杉谷善住坊、石川五右衛門の両名も実在の人物です。前者は二年後の元亀元年(1570)に近江国で織田信長を狙撃するも失敗、後者は「絶景かな、絶景かな」という歌舞伎のセリフで知られる盗賊です。

いずれも時の権力者に抵抗した人物を主人公の仲間にしたところ(どちらも堺に関わりある人物としているのは全くの創作でしょうが)、主人公も反権力的なキャラクターであることが暗示されていますね。
大河ドラマで戦国時代を取り上げる際には、とかく戦国武将を主人公に、近隣諸国の敵との知略・戦略の競い合いや同族間の葛藤などを描くことが多かったのに対し、「堺」という自治都市に住む人々(商人がほとんどですが)それぞれの思惑や、権力者への接し方(距離感)などの群像と、助左衛門らの目線からの権力者観というものが表現されていきます。
序盤の山場として「金ヶ崎の戦い」を描いた第五回「総退却」があります。助左衛門は織田家の陣に鉄砲を運ぶ任務を行ないますが、その織田軍は越前の朝倉義景を責めている最中に、北近江の浅井久政・長政父子の裏切りにより総撤退せざるを得ない事態にありました。絶体絶命の中で信長軍撤退のため、最も危険な殿(しんがり)役を申し出たのが木下藤吉郎です。この続きは次回で。














