おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

番外編 オデュッセイアと百合若大臣11

苔丸は受け取った弓を、庭の隅の松に押し当てると軽々と弦を張ります。そうして鉄の矢をつがえたかと思うと、的には目もくれずに客と歓談中の別府に向けて狙いを定め、大声で叫びました。

九州諸国の官人たちよ、我を誰と思うか!いつか孤島に捨てられた百合若が、春の草木が生え変わるように戻ってまいったぞ!人の道をわきまえて我に味方するか、それとも踏み外して別府につくのか、どうだどうだ?

写真は勿来の関の「源義家像」

一瞬の静けさの後、居並ぶ武将・官人たちは「ははーっ」とかしこまると(大友諸卿、松浦党、一度にはらりと畏まり)、百合若につき従います。別府兄弟も呆然としながら「降参いたします」と手を合わせひれ伏して許しを請いますが、許せるはずもありません。先ほど自分に従った松浦党の手の者に別府太郎を縛り上げさせました。

お前の舌から出たたくらみで、私はこのようなつらい目に遭ったのだ。因果応報、お前もつらい目に遭わせてやる。

と、別府太郎の口の中に手を入れると、舌をつかんで引き出し、そのまま投げ捨てます。そうして首を斬り、その首は七日間晒されました。「主君の百合若様を陥れた当たり前の末路よ」筑紫の国の民は、晒された首を見て憎まない者はいません。

同席していた弟の次郎も同じ刑に処せられるところでしたが、「私はあの島で兄を止めようとしたのです」とその時のありさまを言上したところ、

それならば、お前の命だけは助けてやろう

と壱岐への流刑としました。

館でのひと騒動が終わると、百合若は筑紫国の役所へ移りました。隠れていた御台所はこの話を耳にして「これは夢ではなかろうか」と袂を顔に当てて涙をぬぐいながら百合若と再会します。続きは次回で。

番外編 オデュッセイアと百合若大臣10

矢取りとして弓場で行き来する苔丸(百合若)は、まわりの射手を見ながら

あそこで弓を弾く方は構えが良くない、こちらの方は弓を持つ左手が震えておられる

と散々な批評を述べ始めます。客人として弓の名人を呼び集めた別府太郎としては聞きづてなりません。苔丸に命じます。

お前はいつ弓道を学び、そのような生意気口をたたくのだ!他人(ひと)を批評するくらいなら、自分で弓を射たらどうだ!

利いた風な口をたたくな!(写真は佐原例大祭 源頼義の山車)

弓矢を射たことはございませんが、ここの皆様のいる姿があまりに不格好でしたので口に出てしまった次第で・・

射たこともないくせに、何を知った風な口をたたくのだ!ここで矢を射ないというのであれば、宇佐八幡さまにも申し上げる、我が手で切って捨ててくれる!さぁ、射よ!

別府太郎がそのように責め立てて言い、苔丸は答えます。

ご命令でございますので、一矢射たいと思いますが、私が引く弓がございません

けなげなことをいうものだ。弓はこちらで用意してやるが、強い弓と弱い弓、どちらが望みか?

どうせなら強い弓をお願いします

たやすいことだ

こうした二人のやり取りがあって、苔丸の前には筑紫の国中の強い弓が十張並べられました。

百合若がどの弓を選び、果たしてちゃんと射ることができるのか、興味津々な周りの眼が注がれます。苔丸はそのうちの二つ三つを手に取って引いてみて、

どれも弱い弓で、強さが足りません

というのを聞き、別府は叫びます。

怪しい奴だ!ここに百合若大臣がお持ちであった鉄の弓矢をこやつに射させよ!

周りも「もっともです、そうしましょう」というので、宇佐八幡の宝物蔵に置かれていた弓矢を持ってこさせて、苔丸の前に差し出しました。

この続きは次回で。

番外編 オデュッセイアと百合若大臣9

自分たちの娘が、主人(の妻ですが)の身代わりで死んでいったことを「悲しいけれど喜ばしい」とは現代の感覚では考えられませんが、ほんの百年前までこれに近い考え方が残っていたわけですから、日本でこの話が成立したとされる室町時代後半であれば、このやりとりも「あり」なのでしょう。

さて、「その時」はそのあとすぐに記述があります。

その年が暮れ、新年を迎えました。別府のもとに、九州各地から弓の名手が集められ、「弓始め(ゆみはじめ)」を行って新年を祝います。

百合若はどうしているかというと、いたわしいことに顔も手足も苔むしたような外見から「苔丸(こけまる)」と名付けられ、矢取りの役を務めていました。

話が本題を逸れますが、「苔丸」という名前からは、白土三平先生の「カムイ伝」のキャラクターを思い出します。農村の下人でしたが、一気の首謀者となって後、人相を変えるために、顔に傷をつけ、非人部落に隠れ住む人物で、一部後半でかなり重要な役割を果たします。

「カムイ伝」の苔丸 顔の無数の傷から「スダレ」の別名があります

このイメージがあったので、百合若の顔や手足に傷があったのかと想像しましたが、そういうことでもなさそうです。いくら黒ずんだ風貌に代わっていたとはいえ、門脇の翁と媼はかつての主人であることに気づかなかったのでしょうか?

ちなみに「オデユッセイア」においてこの翁に相当するのが「エウマイオス」という人物です。オデュッセウスに仕える忠実な豚飼いで、叙事詩の上では彼も故郷に戻ったオデュッセウスに気づきません。映画ではさすがにそこは不自然だというのでしょうか、彼は「盲目」である設定が追加されています。

さて、弓始めで百合若が務めた「矢取り」ですが、文字通り的に向けて射られた矢を的から抜いて集める役割です。各地の弓の名手が集まる場で、百合若は「ここでこそ、吾が運を試そう」と決心しました。そこで・・この続きは次回で。

番外編 オデュッセイアと百合若大臣8

翁の「もう泣くな」との言葉も媼には通じません。

なんとまぁ、本当に男というものは薄情なものだね。おじいさんは百合若大臣さまがいらっしゃらなくなったことも、そんなに悲しいと思わなかったのだろう。私たち夫婦が大臣さまから受けた御恩は、まるで昨日のことのように思い出されて、おじいさんが止めようとしても、私は泣かずにはいられないよ。

といってまたさめざめと泣くのでした。

老夫婦の話は続きます

翁はその言葉を聞くと

おばあさんは優しいなぁ、大臣さまをそれほど大事に思っているのなら、本当のところを話してやるが、決して他人に話してはいけないよ

と言って話を続けます。

別府の殿の世話をしている忠太という男は、わしの甥にあたる者じゃ。その忠太から御台所が池に沈められそうだという話を聞き、わしは「どうしたものか」と悩んだ挙句、奥様と同い年の愛娘に、「奥様の身代わりになってはもらえまいか?」と話してみたところ「男と女の別なく、主人の身代わりになれるなど、こんなに嬉しいことはありません」と言う。それを聞いたわしは、娘を御台所にしたてて満濃池に沈めさせ、娘の部屋に御台所をお隠し申した。娘の形見はこれじゃ。

といくつかの形見を取り出し、媼の手に渡しました。媼はそれを手に取って

これは夢ではなかろうか、主人を助けて身代わりに死んでいったとは、悲しいけれど、喜ばしいことですね。とはいっても、人と獣の区別なく、子を思わない親はいませんよ。わが身を分けた娘が亡くなったのは、やっぱり悲しい。

とまたむせび泣き。翁も一緒に泣き出します。

隣でこれを聞いた百合若も涙をこらえられません。ここで出て行って「私こそが百合若である」と名乗って正体を明かし、二人を喜ばせることができたなら・・、と思いはするものの、ここまで隠してきた正体をここで明かすわけにはいかない、と思いとどまるのでした。

ここは何としても「その時」を待とうと考えたのでした。続きは次回で。

 

 

番外編 オデュッセイアと百合若大臣7

新たに「門脇の翁(かどわきのおきな)」という人物が登場してきました。百合若の下で長年忠実に仕えてきた手の者です。顔はよく知っているはずですが、三年玄海島で苦労の日々を送ってきた百合若は、「御顔にも御足手にも、さながら苔のむし給ひ、御背も小さく御色も黒く、ありしに変はる御姿をいかでか見知り申すべき」、すなわち顔も手足も苔むしたような年老いた風貌で、背は縮こまって肌は黒く、かつての姿とはかけはなれていたため、この人物がかつての主人だと気づきません。

「門脇の翁」は国司の館の脇に住んでいました(写真は足利学校)

しかし、翁夫婦は情け深い人柄で「かわいそうに、餓鬼のようにやせ衰えて・・」と憐れみ、多くの扶持(ここでは食事の意味でしょうか)をふるまいます。

幾日が過ぎたある夜のこと、百合若の耳に翁夫婦の話声が聞こえてきます。

翁「先に仕えてきた大臣様は蒙古に追討のため行かれたまま戻ってこられず、百合若さまのことばかりを思って無為に年を重ね老いてしまったなぁ。それにしても御台所様は国府の館にいらっしゃるのであろうな?」

媼「そうそう、そのことよ。別府の殿は御台所に思いを寄せて手紙を送ったものの、一向になびこうとしないのを悔しくも憤って、二三日前に御台所を生きたまま満濃池に沈められてしまったそうじゃ。本当にかわいそうなことですよ。こんな悲しい話を聞くくらいなら、長生きなどするものじゃないね・・」

媼はそう言うとその場に泣き伏しました。

百合若はその会話を耳にして

なんということだ、これまで何とか生きながらえてきたのも、妻に遭うためであったのに・・。妻が死んでしまったのでは生きる甲斐が無い、夜が明けたら急いて満濃池に往き身を投げて、妻と来世でも契りを結ぼうか

と堪えきれず泣きました。その後、翁が口を開きます。

「そのことだが、話しておくことがあるのだ、もう泣くな」

翁の話とは、それは次回に。

 

番外編 オデュッセイアと百合若大臣6

この男(漁師)がもし別府兄弟の手下だったとしたら、正直に話すのは危険だと感じた百合若は、とっさに噓をついて素性を隠します。

私は百合若大臣が蒙古(むくり)に討手を送った際に、水夫として召集された者です。戦のあと船に乗り遅れ、こんな島に流れ着いてしまったのだ。どれくらいの時が経ったのか暦もどうでもよくなったが、帰りたい思いは強くなっている。どうか情けで日本に連れ帰ってもらえないだろうか。

私を日本に連れ帰ってほしい・・(和歌山県白崎海洋公園)

異形の男の願いをかなえてやりたいとは思うものの、頼まれた漁師も同様に漂着した身です。

それは風と空と海が決めることだ

と二人で漁師の舟に乗り込みました。すると、御台所の祈りが天に届いたのか、どこからか風が吹き出します。三日三晩流され続けた末に舟は博多に流れ着いたのでした。

やと日本の地を踏んだ百合若(であることを誰も知りませんが)に、漁師は

願い通り連れ帰ってやったのだから、私にしばらくの間仕えて、これまでの恩を返せ

と言います。百合若もそれには理があると思い、漁師のもとで働きます。貴族出身の百合若にとっては慣れない仕事でしたが、知力も体力もある百合若のこと、恩を十分に返して余りあるほどの働きをみせるのでした。

「壱岐浦の漁師のところに、人には見えぬような異形の働き者がいる」との噂は博多の街にひろまり、そのうち別府太郎の耳に入りました。漁師のもとに使いをやり、

お前のところで、おかしな者を養っているそうだな、連れてまいれ

と命じます。雲の上の人と言ってもよい、領主さまからの命令です。断ることができるはずもありません。すぐに領主の館にはせ参じました。

館では別府太郎がしげしげと眺め、原文では次のようにつぶやきます。

人かと見れば人にてもなし  鬼かと思えば鬼にてもなし  唯餓鬼とやあらん

よほど容貌が変わっていたのでしょう。百合若であることに気づきません。

別府太郎はこの異様な者を、都に連れて行って見世物にでもしよう、と思い立ち、漁師に対し、この者を差し出すよう命じます。別府太郎は屋敷の門の脇に住む翁(門脇の翁)の家に百合若を預け、養うように命じました。

この続きは次回で。

番外編 オデュッセイアと百合若大臣5

考えてみると、鷹(緑丸)にしてみれば、百合若のもとへの往きは何も持たず、帰りも柏の葉(血文字が書かれていたにせよ)を携えていただけだったのが、荷物(硯まで)持たされ御台所の期待まで背負わされたのでは、あまりに荷が重い。

それでも骸となって流れ着くかたちとはいえ、百合若のいる玄海島にたどり着いたのは、主人を思う気持ちの表れなのでしょう。幸若舞でも、一生懸命飛びながら最後に力尽きるくだりは、哀切をこめて語られたようです。

力尽きた緑丸は、遺骸となって玄海島に・・(写真は和歌山県白崎海洋公園)

そんな緑丸の状況のことは知らない御台所、宇佐宮に七日間「籠り参り」をし、「もし再び(百合若大臣に)お目にかかることができたなら、社殿を造営いたしましょう。玉で造られた社殿を磨き上げ、金の扉を開き・・」と願をかけます。

しかし、いつまでたっても己になびかず、色よい返事をよこさないことに業を煮やした別府太郎は、御台所をまんのう池に沈めてしまうのでした。

そのころ、壱岐の島の漁師が南風に吹かれ北の沖に流されてしまい、玄海島に漂着しました。見も知らぬ島に立ち、顔をあげた漁師の眼に得体のしれぬ生き物が映ります。

その生き物は鬼にしては迫力がなく、熊にしては人のように歩き、とはいえ人間離れした出で立ちでした。漁師はその姿におびえてしまい、右に左に逃げ惑います。

すると、その生き物は急にむせび泣き始めました。不思議に思いながらも、泣く姿を見て漁師には余裕が生まれます。そうしてこう問いました。

「人なのか?なぜそのような醜い姿をしているのか?」

まさにこの「生き物」が百合若で、百合若自身もそう名乗りたい気持ちでいっぱいだったこtでしょう。しかし「もしこの男(漁師)が別府兄弟の手の者だとしたら・・」と考えた百合若は・・続きは次回で。