周囲の緊迫した雰囲気が伝わる名文なので、そのまま転記させていただきます。
「私は熟考しました。そして苦しいながらも、結論を出しました・・・」
鍋が煮えたぎりグツグツ音を立てた。自分の心臓の鼓動に似ていると松枝は思った。
音にせきたてられたかのように、仁鶴は一息に言った。
「熟考を重ねた結果、『七代目・松鶴』は・・・・・・七番弟子の『松葉君』に」
空気が氷った。時間が凍てついた。
発言後のサッと冷えた空気と静寂、一方で鍋の煮える音だけが響く・・ドラマだと名場面になりそうです。
さて、七代目の指名を受けた松葉師匠(この時点で弟子はいませんでしたが)は、昭和二十七年(1952)生まれ。入門が昭和四十五年(1970)といいますから、年齢は41歳、入門後23年にこの襲名の話が降ってわいたわけです。
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七代目松鶴=笑福亭松葉師匠(ワッハ上方)
例の失踪事件で松鶴の名跡は松竹芸能預かりとなっていました。この忘年会の行われた平成五年(1993)には、桂べかこ(現:南光)師匠と松葉師匠が司会を務める生活情報番組(関西テレビ「やる気タイム・10」→10月から「痛快!エブリディ」に番組名変更)が」スタートしています。
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若き日のべかこ(南光)師匠 松葉師匠とは同期入門でした(ワッハ上方)
穿った見方をすれば、松竹芸能から売出中の松葉師匠をさらにプッシュしようという意図が働いたのでは?とも思えますが、真相はわかりません。ただ、この突然の話、周りも本人も相当驚いたことでしょう。
突然の七代目指名で、一門内に波風は立ちましたが、最終的に翌年2月には松葉師匠を七代目とすることでまとまったのです。が・・・
この年の夏から松葉師匠は体調を崩し、手術後に入退院を繰り返すようになります。そして平成七年(1995)9月22日、道頓堀中座で行われるはずだった襲名披露公演の日に44歳という若さで師匠の後を追ってこの世を去ってしまいました。
この9月22日は何の因縁か、8年前に失踪事件が起きた日でもありました。今回の1枚目の写真には「笑福亭松葉追善興行」「七代目笑福亭松鶴追贈」と書かれています。襲名披露を行えなかったため、死後にその名を贈る、という上方落語としては異例のことでした。
現在「松鶴」の名は空位となっており、時折八代目は誰が継ぐのか、と話題になっては消えていきます。いつか一門や上方落語好きが納得する名人がこの大名跡を継ぎ、上方落語を盛り立ててくれることを祈ります。
松鶴をめぐるお話は以上です。最後までお付き合いいただきありがとうございました。