おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2023-08-01から1ヶ月間の記事一覧

想いを寄席る4

四人いた弟子のうち、一番弟子、すなわち草々の兄弟子にあたるのが「草原」(そうげん:桂吉弥さん→バリバリの落語家です)。落語をよく知っていて稽古では上手に話せるのですが、高座に上がると噛み噛みでさっぱり・・、三年前の一件以降落語家をやめ、ディ…

想いを寄席る3

東京では、講談か「笑点」の司会くらいしか見かけることのないこの3点ですが、落語が「辻噺」、つまり大道芸であった頃の名残だとされています。今でこそ、大道芸が寺社の境内や庭園で行われる際は一組の演者しかいませんが、当時はライバルがいっぱいです。…

想いを寄席る2

主人公の和田喜代美(わだ きよみ :貫地谷しほりさん)は、同級生で同名、才色兼備の和田清海(わだ きよみ :佐藤めぐみさん)にコンプレックスを抱き続ける少女時代を送りました。何しろ周囲の友達は、二人を「紛らわしい」と、人気者の清美をA子(えーこ…

想いを寄席る

「ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます」ブログのテーマ替わりの最初に使っているこの文言は、平成十九年(2007)後半の連続テレビ小説「ちりとてちん」のナレーションの上沼恵理子さんがその週の最初の回の冒頭に発する言葉を使っています。 再放送され…

新(あらた)なるステージ(舞台)6

自由学園の立場から文化財指定に対して積極的になれない理由がありました。それは文化財指定を受けることにより、修理費用などに補助金が出るというメリットの一方で、建物の使用など活用が制限され、自由が失われるデメリットを懸念したものです。 建物とし…

新(あらた)なるステージ(舞台)5

以前にご紹介した旧山邑邸(現ヨドコウ迎賓館)も、昭和四十九年(1974)に重要文化財に指定された約十年後、昭和六十年(1985)から約3年3ヶ月最初の修理工事を行っています。(もう一度、阪神大震災ののち、修理工事が行われました) その時に最も腐朽・破…

新(あらた)なるステージ(舞台)4

大正デモクラシーのリベラルな風潮を追い風に、自由学園は規模を拡大していきます。 昭和二年(1927)初等部を開設 昭和九年(1934)校舎を東京府北多摩郡久留米町(現:東久留米市)に移転 昭和十年(1935)男子部を開設 が、日本が国家主義的な方向に進む…

新(あらた)なるステージ(舞台)3

ライトと一緒に渡米した当時、遠藤は英語が苦手で、コミュニケーションをとるのに苦労していたようです。苦手といっても洋書を読むような、いわゆる「読解力」については問題ないレベルだったようです。 遠藤は福島県宇多郡福田村(現在の相馬郡新地町)の生…

新(あらた)なるステージ(舞台)2

林愛作からライトが帝国ホテル新館を設計する話を耳にしたのが影響したのか、彼の卒業制作は「bokuno hotel」(僕のホテル)。周囲が官庁など公共施設をテーマにしていている卒業生が多い中、特殊といってもよい題材をとりあげています。遠藤の卒業は大正三…

新(あらた)なるステージ(舞台)

明日館の真正面に講堂がありますが、こちらも重要文化財に指定されています。完成したのが昭和二年(1927)ですから、開校後6年が経ってからのことです。 明日館を引き継ぐような統一性のとれたデザインは遠藤新の設計。ライトが「我が息子」(my son)と呼…

もしも明日が羽仁ならば6

ドラマでは2階にある食堂に先に案内されて、明日館の案内者の方が羽仁夫妻の考え方を紹介しています。 「学校建築では珍しく、食堂が建物の中心にあるんですよ。羽仁夫妻は温かい食事を皆でとりたいということで、ライトにお願いしてこの食堂の部屋が建物の…

もしも明日が羽仁ならば5

中央のホールで幾何学模様の窓や椅子などと並んで存在感を示しているのが、「壁画」です。この別に名のある芸術家による作品というわけではなく、昭和六年(1931)学園の十周年を記念して、在校生と卒業生の有志の手で描かれました。 ホールの壁画 手前の椅…

もしも明日が羽仁ならば4

他に、天井や内装の意匠はライト自身の住宅兼スタジオのタリアセンのものを流用しながら、内壁は安い合板を使ってペンキを塗ってしまう、という工夫も行ったことを「帝国ホテル建築物語では紹介しています。 そして「大谷石」については次のように書いていま…

もしも明日が羽仁ならば3

ライトが羽仁夫妻の学校設立の趣旨に大いに賛同したのには理由がありました。彼のおば二人もまた、アメリカでホームスクールという学校の運営に熱心であり、しかもその学校の校舎を若い時代のライトが設計していた、といういきさつがあったのです。 フランク…