おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧

桜、咲くに見惚れる4

染井霊園を後にして、染井通りを駒込駅方面に戻る途中、交差点を左に折れると公園が見えました。「染井よしの桜の里公園」とあります。平成21年(2009)に銀行の跡地を取得し、ソメイヨシノの他、オオシマザクラ、エドヒガンザクラの樹が植えられている他、…

桜、咲くに見惚れる3

再び染井通りに戻って進むと、染井霊園の入り口が見えてきます。維新後、明治政府は「神仏分離令」を発し、神道の国教化を図っていきます。しかし、東京の墓地はほとんど寺院の中にあたため、新たに寺院と関係のない墓地を作る必要がありました。 明治5年(1…

桜、咲くに見惚れる2

江戸時代は、いわゆる天下泰平の時代ですから、文化・芸術が栄えました。そうした中にあって、エンターテイメントとしての演芸(歌舞伎や落語)もそうですが、園芸も大きく発展しています。 朝顔や菊、ツツジや桔梗など、元からある色々な品種をかけ合わせ、新…

桜、咲くに見惚れる

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。 今年は桜の開花が早く、この項を書き終える頃には盛りを過ぎてしまっているのかもしれません。現在、桜の代表的品種として知られているソメイヨシノですが、テレビで散々取り上げているように、オオシマザクラとエド…

地図はどこへ消えた?3

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。 シーボルト事件のお話です。 シーボルトの名前は日本史で皆さんお聞きになったと思いますが、彼がオランダ人だと思われている方が殆どではないでしょうか。鎖国(教科書からはこの表現は消えているそうですが)時代…

地図はどこへ消えた?2

景保も至時と同じく源空寺に父の隣、左側に葬られています。 景保のお墓 号は玉岡 父至時の左側で眠っています 少し下がって撮影すると、左後ろに大きな碑?が 石碑の上の方に「為天下先」という字が読めます。 「天下のために先んじる」と読むのでしょうか…

地図はどこへ消えた?

高橋景保(かげやす)は、文化元年(1804年)に亡くなった父、至時の後を継いで20歳で天文方となり、伊能忠敬の地図完成まで監督を行ったことを、前項でお伝えしました。天文方以外にも文化8年(1811年)蛮書和解御用の仕事に携わるようになります。 蛮書和…

伊能忠敬と高橋至時 江戸にて5

至時は、寛政暦の制作のおため、江戸に移り住んだあたりから、労咳、つまり結核を患っていたようです。時には10日も寝込むこともありましたが、一時は全快近くまで回復していました。 日々の天文方の研究をしながら、忠敬の測量を指導したり、ある時には測量…

伊能忠敬と高橋至時 江戸にて4

奥州街道に向う忠敬たち測量隊の一行は、千住で知合いの見送りを受けました。ここで人足三人、馬二頭を加えます。 千住神社 忠敬も参拝したでしょうか 北へ北へと歩いて自らの歩幅で距離を測ります。そのスピードは一日40キロ、ただ歩くのでなく、測量しては…

伊能忠敬と高橋至時 江戸にて3

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。 測量出発前の話の続きです。 武士ではない忠敬に幕府が測量許可を出すまでの間、地元佐原の村人たちから苗字帯刀を許していただきたいとの訴えかけなどもありました。こうした動きも師の至時が知恵を働かせたものと…

伊能忠敬と高橋至時 江戸にて2

前項で名前の出てきた渋川春海は最初の天文方となり、天文観測のための司天台を牛込藁店に設置しましたが、何度か移転を繰り返し、天明7年(1782)に浅草の地(現在の地名では蔵前駅付近)に浅草天文台として設置されました。 一方、忠敬は、深川の自宅に自…

伊能忠敬と高橋至時 江戸にて

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。 伊能忠敬の偉業は誰しも認めるところですが、当時は幕藩体制の世の中、全国を歩き回るには幕府の許可がないと不可能です。佐原の名主として業績を上げていた伊能忠敬ですが、全国的には無名の隠居です。全国測量の…

伊能忠敬を育てた町 佐原5

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。 この子弟の話を続けようとすると、舞台を江戸に移さないといけなくなるので、佐原の話題はこの項でいったん終わることにします。が、佐原の街はもう少しご紹介しておきたいと思います。 これまで見ていただいた画像…

伊能忠敬を育てた町 佐原4

伊能忠敬記念館に入ると、展示室に入る手前に彼が作成した地図と、人工衛星から撮影された地形図が重ねられ、その誤差の少なさ(小ささ?)に驚かされます。 展示室に入ると、時系列に彼の前半生である伊能家当主としての業績と、日本全国の測量にいたる後半…

伊能忠敬を育てた町 佐原3

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。佐原の話まだ続きます。 佐原の街には多くの橋が掛けられています。街なかを水路となる小野川が流れているので、通行を考えると当然ですが、そのうちの一つが伊能忠敬旧宅前の樋橋(とよはし)、別名をじゃーじゃー橋…

伊能忠敬を育てた町 佐原2

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。昨日の続きです。 佐原は江戸時代、水運で栄えた河港商業都市です。東北地方の物資の通り道だったんですね。 「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町、江戸まさり」当時の佐原をあらわした言葉です。今では想像も…

伊能忠敬を育てた町 佐原

ようこそのお運びで、厚く御礼申し上げます。 このほど、ブログを始めることにしました。私、お寺や神社を巡って歩くのを、40年以上前から趣味にしているのですが、以前より「せっかくこれまで行ったところ、色々紹介してくれたらいいのに」と知り合いの方か…