おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2024-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「櫻守」終章 ササベザクラ1

葬式をすませたあと、喜七が残っていてくれて、 海津に埋めるとなると、竹部先生にでもたのまんとあかんなァ といいます。地元の共同墓地というからには、その村に住んでいない弥吉をそこに葬るいわれはありません。 いずれにしても生前の関係からあいさつに…

「櫻守」を歩く14

あるとき、近江舞子で桜が何本も引き倒されているのを目にします。ドライブインを建てるため道を拡げるのに引き抜かれたとのことで、移植もせず放っておかれるのを、弥吉はしばらくの間、小雨に濡れながらぼうぜんと眺めていました。その後で北に車をとばし…

「櫻守」を歩く13

弥吉は京都鷹ヶ峰に八年前くらいから家をもち、庭に桜を植えています。 竹部から受けた教訓で桜のうしろには楓と松を植え、花が咲く季節に花が浮き立つように工夫をし、狭いながらもこのあたりで評判の庭です。桜はもちろんのこと楓も松にも手入れを怠りませ…

「櫻守」を歩く12

この年の四月、何気なく新聞を読んでいた弥吉は、ある見出しに眼をとめます。 桜の園へ時勢の嵐、名神道路の犠牲に、非情を嘆く老持主 竹部の持つ向日町の苗圃の記事でした。古来の桜の名木の種子、苗木を植えた『桜を守るためのトリデ』が危機に瀕している…

「櫻守」を歩く11

東山の高台寺にあった老舗の料亭が、北白川に移転するのでその移転先の庭造りをするというのです。下見に行った喜七がほくほく顔で言います。 えらい仕事やぞ、弥吉ィ。のっぺら坊の山裾に、三百からの石運んでよったわ。楓も、松も桜も植えんならんはなしや…

「櫻守」を歩く10

「かつぎ屋」とか「野菜売り」というと聞こえはいいですが、戦後すぐの配給・統制経済の中では「闇屋」ということです。一つ間違えば、警察の取り締まりを受けることもあり得ますが、二人とも植木職人で、京都の上流家庭や寺院に顔見知りが多かったこともあ…

「櫻守」を歩く9

八月十八日、弥吉は腹をこわした状態で伏見の輜重輓馬隊を除隊となりました。毛布一枚と編上げ靴一足を分配され、終戦後の世間、しかも炎天下に放り出されたのです。そこからの約十日間はその体調の事を忘れてしまうくらいの目まぐるしい日々でした。 真夏の…

「櫻守」を歩く8

向日町の弥吉のもとに送られてきたのは「白紙(しろがみ)」でした。兵隊として召集される「赤紙」とは異なり、労働力として召集する、いわゆる「勤労動員」の令状は白い紙に印刷されていたためそう呼ばれたのです。 弥吉の行先(召集される先)は「舞鶴軍需…

「櫻守」を歩く7

園との結婚した後も、弥吉は竹部のもとで桜の育成を学んでいきます。弥吉はもともと染井吉野を美しいと思い、庭に植え替える際に重宝していましたが、竹部は染井吉野をこき下ろします。 染井霊園の染井吉野 竹部はなぜ染井吉野を評価しないのでしょうか 竹部…

「櫻守」を歩く6

前回、「楊貴妃は今晩あたり満開ですわ」という竹部のセリフがありました。「楊貴妃」が桜の品種名であることは、容易に想像がつかれたかと思います。 「公益財団法人日本花の会」のホームページによると、「楊貴妃」は「昔、奈良にあった名木といわれ花色も…

「櫻守」を歩く5

披露宴は武田尾温泉の宿「たまや」で、身内だけをよんで行われました。戦争中のことで、この地域でも灯火管制がやかましく、夜の明かりは自粛しなければならず午後一時からの宴でした。 竹部を中心に話が盛り上がる中、それまで黙っていた弥吉が突然竹部に言…