おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

線路は続くよ東京までも7

辰野金吾は嘉永七年(安政元年 1854)に九州唐津藩の下級役人の次男として生まれ、叔父の養子となって辰野姓を名乗ります。明治六年(1876)に工部省工学寮に入学します。この工部省工学寮は、「蒸気機嫌で乗り乗り」の項でご紹介した「日本の鉄道の恩人」、…

線路は続くよ東京までも6

明治二十八年(1895)、日本が日清戦争に勝利した年の12月、鉄道建設に関わる諮問機関「鉄道会議」において「東京に中央停車場を設置し、新橋停車場から線路を延長して、東北東海道の両線を連絡する」という計画方針が諮られ、帝国議会においてもこの方針が…

線路は続くよ東京までも5

そもそも皇居の近く、東京のど真ん中という一等地の入札が不調に終わるとは信じがたいように思えますが、それは今だから思える話。皇居に近すぎることで建築基準が厳しく、価格に対しての価値が見出だせなかったのだと言われます。コストパフォーマンスが低…

線路は続くよ東京までも4

移転先の麻布に煉瓦造りの兵舎を新築する費用は150万円が見込まれていました。この年度の日本全体の歳入額は9669万円。陸軍の予算の1割以上の金額でした。そのために丸の内の土地を民間に払い下げようというのでした。 当時の財閥、財界人に払い下げに関する…

線路は続くよ東京までも3

上野~新橋間を結ぶ馬車鉄道は、道路上にレールが敷かれているため、見物人が線路内に立ち入って接触事故を起こすこともしばしばでした。一番問題となるのは馬の排せつ物による臭気だったといいます。こうした「公害問題」の解決に東京府知事が乗り出します…

蒸気機嫌で乗り乗り 番外編 高輪築堤

本来であれば、「線路は続くよ東京までも」の続きなのですが、22日に港区郷土歴史館で12月18日まで開催の特別展「鉄道開業150周年 人物で見る鉄道の開業」を観てきました。 9月末から10月2日までブログの「蒸気機嫌で乗り乗り」のところで、新橋~品川間の海…

線路は続くよ東京までも2

東海道線が各区間の路線を伸ばし最終的につながるまでの十七年間、それ以外の地域での鉄道建設はどうなっていたかをご紹介します。 東海道線全開通の八年前、明治十四年(1881)に発足した「日本鉄道会社」が最初に計画したのは、東京~高崎~前橋の路線でし…

線路は続くよ東京までも

明治七年(1874)に国内二番目の鉄道、大阪〜神戸間の路線が完成、5月11日に開業します。区間距離32.7kmを1時間10分で走りました。 新橋〜横浜間では、川を渡るのは多摩川だけで、六郷橋梁(当初木橋)を敷設したのはご紹介した通りです。一方、関西のこの区…

時を変える詔書(しょうしょ)

鉄道開業式典に先立って、神奈川県権令の大江卓は人々に、提灯行列への参加と家々の戸口に二年前国旗に制定された「日の丸」の旗を掲げることを呼びかけます。費用をかけられない中での苦肉の策でしたが、祭典は大いに盛り上がりました。 これが好評を呼び、…

押しかけて横浜5

起点の新橋駅には、前回ご紹介した旧停車場の遺構が残されていますが、初代横浜駅のあった桜木町駅には、開業時にイギリスから輸入された蒸気機関車5形式のうちの一つ、110型蒸気機関車が駅の南にある「CIAL桜木町ANNNEX」内に展示されています。 イギリス …

押しかけて横浜4

前回、開業時の列車に「大久保利通や西郷隆盛の名前もあります」、と大久保利通の名があったと書いていましたが、この時大久保は、岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文らと欧米を歴訪中で乗車はしていませんでした。訂正させていただきます。(本文から削除してい…

押しかけて横浜3

また、皇后も、箱根離宮からの帰りに横浜〜品川間を利用されています。wikipediaの昭憲皇太后の年譜・行啓歴の項によると、6月17日に箱根離宮の下温泉に行啓、7月18日に還啓と書かれていました。還啓は復路を指し、皇居に戻られた日にあたるので、明治天皇よ…

押しかけて横浜2

6月9日(新暦 旧暦では5月4日)、品川・横浜の両駅に以下のような文書が掲示されました。 来る五月七日よりこの表示の時刻に日々横浜並に品川ステイションより列車出発す。 乗車背むと欲する者は遅くとも此表示の時刻の十五分前にステイションに来たり、切手…

押しかけて横浜

新橋~横浜間の線路は開通しましたが、建築師長(技術主任)であったモレルは完成の約一年前、明治四年(1871)11月5日にわずか30歳でこの世を去っています。すでに来日した時から肺を患っており、インドで転地療養を行うことも許可されていましたが、それも…

占わナイト ヨコハマ~♪4

嘉右衛門はこの申し出を辞退します。が、「神奈川から横浜の入江を埋め立てる工事を請け負わせてもらいたい」と願い出ます。 神奈川の青木橋から南の「高島」のあたりを埋め立てる仕事を請け負います 申出は申出として、工事は一般(公開)入札の形をとりま…

占わナイト ヨコハマ~♪3

5年の獄中生活の後、慶応元年(1865)に「江戸所払い」を命じられた高島嘉右衛門、ここでこの刑罰について触れておきます。江戸の境界を示す「大木戸」が品川(高輪)、板橋、千住、本所、深川、四ツ谷の6ヶ所に設けられていますが、この大木戸の外に追放さ…

占わナイトヨコハマ♪〜2

安政の大地震後、先代からの借財を返済できるまでになった嘉右衛門ですが、直後にまた不幸に巻き込まれます。今度は盛岡藩邸の普請を請負ったものの、暴風雨にあい、買い付けた材木が流出、更には盛岡藩から普請の代金の支払を拒否される事態となり、また借…

占わナイト ヨコハマ~♪

高島嘉右衛門は、元々幕末に江戸で材木商兼普請請負業を営んでいた人物です。幼少時は清三郎といいました。この息子の病弱を心配した父が、当時日本一といわれた占師、人相学の大家である水野南北を呼んで、観相を依頼します。南北は清三郎の顔を見るや驚き…

蒸気機嫌で乗り乗り5

ちょっと話は変わりますが、学生時代は京都に、また会社に勤めてからは異動の中で新潟に住んでいたことがありました。この二つの都市に共通するのは、JRの駅と繁華街が離れていること。これらに限らず、鉄道の草創期に作られた地方都市には、繁華街と駅が離…

蒸気機嫌で乗り乗り4

二本のレールを平行に敷くことで線路は成り立っていますが、この間隔を一定に保つのが、レールの下に敷かれる「枕木」です。「枕木」は英語では「sleeper」(英語)とか「crosstie」「railroad tie」(米語)といいます。「sleeper」は眠る人や寝間着から転…

蒸気機嫌で乗り乗り3

これまで、このブログで江戸時代以前の日付を記載する場合、日本古来の太陰暦による表記(旧暦)で表してきましたが、モレルと鉄道の建設についての記述に関しては、元号表記はそのままに、太陽暦(西洋暦=新暦)で表します。 前回ご紹介したように、モレル…