おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

伝家の疱瘡~「陽だまりの樹」の舞台をたどる2

疱瘡、すなわち天然痘は、現在でこそ根絶されているものの、感染力が強く、また死に至らずに済んだとしても痘瘡=あばたが残ってしまいます。日本においては古く6世紀に大規模な流行が起こっています。百済等、大陸からの人の流入とともに、島国日本に入って…

伝家の疱瘡~「陽だまりの樹」の舞台をたどる

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。 新型コロナウィルス陽性者が増加する中、手塚治先生の「陽だまりの樹」を読み直していました。伊武谷万二郎という常陸府中藩士と、手塚良仙という江戸の蘭方医が幕末の日本で織りなす物語です。 前者は架空のキャラ…

逢い焚くて逢い焚くて8

火刑に処せられる前に、市中を引き回されるのですが、その様子は次のように書かれています。 今日は神田のくづれ橋に恥を晒し、または、四谷・芝の浅草・日本橋に人こぞりて見るに惜まぬは無し。 江戸の街中、お七を見ようと人が集まり、皆がまだ若い娘の命…

逢い焚くて逢い焚くて7

実は、二人が結ばれた雷雨の夜の翌朝、お七は吉三郎と一緒にいるところを母親に見つかり引き立てられていったのでした。現代と異なり、女性は貞淑さが求められた時代ですから、母親はさぞかし驚いたことでしょう。本郷の実家に帰っても母親の監視の目が厳し…

逢い焚くて逢い焚くて6

15日の雨の夜半、寺(吉祥寺)の門を荒々しく叩かれます。寺中の僧侶が皆何事かと思って聞いてみると、長く患っていた米屋の主人が先ほど息を引き取り、今夜のうちに弔いを済ませたい、とのこと。 正月十五日の雨の夜、吉祥寺の門が叩かれます 急なことでは…

逢い焚くて逢い焚くて5

井原西鶴の「好色五人女」が刊行されたのは貞享3年(1686)のことですから、お七が放火事件を起こした天和3年(1684)の2年後ですね。「好色五人女」は5つの話から成り立っており、いずれも当時(二十数年~前年)実際に起こった男女の恋愛事件を題材にして…

逢い焚くて逢い焚くて4

ほうろく地蔵は、首から上の病に霊験あらたかだそうで、お像の周りに奉納されているほうろくの積み上げられたほうろくの数が信心の深さを現わしているように思われます。近寄ってお姿を寺拝見すると、頭の上にほうろくを逆さにして、まるで笠のようにかぶっ…

逢い焚くて逢い焚くて3

「天和笑委集」(てんなしょういしゅう)は、この天和2年から翌年に頻発した火事に関する見聞をまとめたもので、それぞれの火災事故の現場で活躍した人物や、放火犯人の様子などを物語風にまとめた全十三巻の書物です。その十一から十三巻、つまり巻末の部分…

逢い焚くて逢い焚くて2

一般的に「八百屋お七」として知られるお七ですが、恋人に逢いたい一心で自分の家に放火し、火あぶりの刑に処せられました。齢僅か十六。しかも当時は数え歳ですから、今の年齢でいうと十五歳の少女の放火事件でした。 駒込圓乗寺のお七の墓 吉祥寺から南に1…

逢い焚くて逢い焚くて

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。 住みたい街アンケート一位に君臨する吉祥寺ですが、吉祥寺駅の周辺に「吉祥寺」はありません。江戸時代初期に発生した「明暦の大火」以前、「吉祥寺」は現在の水道橋駅付近にありました。「明暦の大火」で当時の江戸…

愛妻家シーボルトの紫陽花か 番外編

昨日、三菱一号美術館で開催されている「三菱の至宝展」に行ってきました。 三菱の至宝展 9月12日まで開催中 三菱創業150周年記念の特別展で、本来は昨年開催予定だったのが、コロナ禍で一年延期され、現在開催されているものです。目玉は、上の「の」の字の…

白猫は招くよ6

前回、自性院の入口の写真を掲載しましたが、左端の像だけ撮ったのがこちら 自性院入口の招き猫 左手を上げて右手で小判を持っています 一般に知られた愛嬌がある招き猫と比べると、随分と目が鋭い感じです。 猫地蔵堂の建物の横に、由来が記された石碑が建…

白猫は招くよ5

豪徳寺の招き猫の伝説は前回で終わっているのですが、招き猫アピールに関しては、豪徳寺が今戸神社を引き離している感じです。今戸神社は、最寄り駅の浅草から離れていることと、浅草寺の陰に隠れてしまっている感じですが、豪徳寺は駅前からして招き猫が鎮…

白猫は招くよ4

招き猫というと、今戸神社以上に知られているのは豪徳寺です。豪徳寺の由来については、4月の「吉良星の如く」でも紹介済で、そこの記述と重なってしまいますが、今回のテーマに免じてご容赦くださいm(__)m 豪徳寺のあったところは、元々吉良氏ゆかりの「弘…

白猫は招くよ3

もうひとつは、浅草浅草寺境内に、今戸焼の土人形を作り、売って生業としていた老夫婦がいました。 浅草寺 浅草文化観光センター屋上から 老夫婦は猫を飼い可愛がっていましたが、ある時知り合いの飼っていた小鳥を殺めてしまいました。猫はその責任を感じた…

白猫は招くよ2

今戸焼は、元々京都の深草焼の土人形が全国に伝播し、浅草の東北にある今戸の地で作られました。落語に「今戸の狐」という噺があります。その中で、主人公の貧乏な噺家の副業が、今戸焼の狐に彩色する内職でした。今戸人形は江戸の郷土玩具だったといえるで…

白猫は招くよ

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。 前項で近藤勇や新選組を取り上げました。当初、沖田総司のことも触れないと、と思っていたのですが、すっかり忘れていました。鳥羽伏見の戦いではすっかり体調を崩していた(労咳、今でいう結核を患っていました)彼…

人も流れてどこどこ行くの5

エピソード4 板橋での最期 板橋宿は、「江戸四宿」のひとつです。「江戸四宿」とは、日本橋を起点とした五つの街道の最初の宿場ということです。ひとうひとつ並べると、東海道は品川、甲州街道は内藤新宿、奥州道と日光道が千住宿、最後の中山道が板橋宿です…

人も流れてどこどこ行くの4

当時の新選組・新政府軍の動きについては、陣屋跡の説明版に地図が示されています。 流山の地で包囲された大久保(近藤)は・・ 4月3日朝に江戸川上流の羽口渡を渡河した新政府軍は、午後4時ごろ本陣を包囲されます。本陣には大久保(近藤)と内藤(土方)ら…

人も流れてどこどこ行くの3

エピソード3 流山へ この間、3月14日に西郷隆盛・勝海舟の会談が行われ、15日に予定されていた江戸城総攻撃は中止されています。 池上本門寺庭園内の会談の地石碑 会談は三田の薩摩藩邸という説もあり 綾瀬で隊士を集めた大久保・内藤(近藤・土方ですね)は…

人も流れてどこどこ行くの2

エピソード2 甲州鎮撫隊結成と甲州勝沼の戦い 江戸に戻った徳川慶喜は恭順の意思を示して上野寛永寺で謹慎、新選組はその警護を行っていました。近藤に勝海舟が甲州を鎮撫するよう命じます。 徳川慶喜は恭順の意をあらわし、上野寛永寺に謹慎します 3月1日、…