おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2023-11-01から1ヶ月間の記事一覧

煮るなり焼くなり徳川家斉4

同じく「大奥」第14回では、家斉が御台所(演:蓮佛美沙子さん)との間で交わした会話に、 「どのみち私は、母上の操り人形じゃしのぅ」 とつぶやく場面がありました。その後、自身が接種した「人痘」を再び始められないか、母治済に話を持ち掛ける場面では…

煮るなり焼くなり徳川家斉3

「大奥」第14回の冒頭、御鈴廊下を進む家斉の耳に赤ん坊の泣き声が聞こえてきます。「また、生まれたか」とつぶやく家斉。 大奥は天守台の南東側にありました 「たった5年で和子(若子:わこ)さまが11人ですぞ!」と松平定信は房事を控えるよう一橋治済に進…

煮るなり焼くなり徳川家斉2

ドラマ「大奥」でも、松下奈緒さん演じる田沼意次が、上意によって老中職を罷免させられます。同時に「ご城中のご様子何らお変わりございません」と告げられ、「上様は、もう」と家治逝去を悟りました。 家治の死後 江戸城内に田沼派を一掃する嵐が吹き荒れ…

煮るなり焼くなり徳川家斉

将軍候補の家基急死の時点で、御三卿はどうなっていたかというと、 田安家・・2代目当主の治察(はるさと)が安永三年(1774)⇒家基の死の5年前にすでに死去。妻子がおらず、田安邸には伊予藩主の松平定邦、ほぼ半年前に白河藩に養子縁組の決まった松平定信…

一橋の貉(むじな)4

安永八年(1779)徳川家基が鷹狩りの帰りの東海寺で体調不良を訴え、3日後に江戸城内で死亡しました。享年18、今の満年齢でいうと16歳でこの世を去ったわけです。 江戸時代後期の寿命については、今のような戸籍や統計がないために正確なところはわからない…

一橋の貉(むじな)3

家格を上げるために、徳川将軍の一族を養子に迎えるという行為を行ったのは松山藩・白河藩だけではありません。一橋治済の2人の兄が相次いで(先に養子になった長兄の重昌→弟:重富)福井松平藩に養子に行っていますが、これによって福井藩は過去にいったん…

一橋の貉(むじな)2

一橋家の話から話がずれますが、松平定信の養子縁組の流れで「久松松平家」について触れていきます。話は戦国時代、「徳川」の姓を名乗る前の松平家は東の今川氏、西の織田氏との間で揺れ動いており、幼少期の家康(竹千代)が人質として両家の間を行き来し…

一橋の貉

松平定信が出た田安徳川家、治済が2代当主を務めた一橋徳川家、徳川重好(しげよし:九代将軍、家重の次男)が当主の清水徳川家、この3つを御三卿(ごさんきょう)といいます。首都高速の一橋料金所のあたりにちょうど「一橋御門」があり、その内側に屋敷が…

おそれ大奥ことながら7

田沼意次が家基を暗殺した、という説は、暗殺の動機として ・家基が田沼の政治に対して批判的な態度をとっていた ・田沼の息のかかった奥医師が投薬した薬を服用した直後、家基の容態が急変した ・将軍が代替わりすると自らの地位が危ういと考えた田沼が暗殺…

おそれ大奥ことながら6

田沼親子は父意次が老中、息子の意知が若年寄という幕府の重職に就いていましたが、親子でこうした役職にあることは通常はないことです。というのはこうした役職は譜代大名から選ばれるのが通例ですが、意次は現役の大名であり、意知は世子ではあるものの、…

おそれ大奥ことながら5

前に触れたように、斬りつけられた意知は、事後の治療処置のまずさもあって8日後の4月2日に亡くなり、翌日佐野は切腹を命じられ自害しました。与えた傷が治らぬよう、獣の血とトリカブトの毒(附子)を刃に塗っていたといいますから、佐野は周到に用意を行っ…

おそれ大奥ことながら4

この事件を風刺した黄表紙「黒白水鏡」(こくびゃくみずかがみ)は、この刃傷事件を風刺したものとされていますが、前回の「佐野善左衛門宅跡」案内板右上にその本の見開き部分が載せられています。尻もちをついたような左の武士が田沼意知、右の刀を持った…

おそれ大奥ことながら3

その事件とは、天明三年(1783)の「浅間山の大噴火」(「天明の大噴火」「天明の浅間焼け)と、それによって引き起こされた「天明の大飢饉」です。これらについてはすでに昨年5月にこのブログ「浅間浅間よ朝陽が昇る」「混ぜるな飢饉、負けるな飢饉」でも紹…

おそれ大奥ことながら2

ドラマ「大奥」では、この白河松平家への養子縁組の話がすでに流れかけていたところに、仲間由紀恵さん演じる徳川(一橋)治済(はるさだ)が「ご政道批判を行なう定信をこのままにしてよいのでしょうか」と老中たちを焚き付けて実現を強く後押しする場面が…

おそれ大奥ことながら

「大奥Season1」終盤で吉宗が家重を後継に決定するまで、妹の宗武(むねたけ)が聡明であったため、周囲でも後継を期待し、宗武本人(演:松風理咲さん)にもその気がありました。が、結局吉宗は家重を選択、宗武はわだかまりを持ちながらそれに従う、という…

菊は一時(いっとき)の鉢2

開催されなくなっても、枚方(ひらかた)=菊人形を印象付けている「ひらかた大菊人形」の原型は明治四十三年(1910)の10月15日からスタートした「香里遊園地」での菊人形展です。 ちなみにこの開催日は京阪本線の天満橋~五条駅の開業日でもあり、それに合…

菊は一時(いっとき)の鉢

本来であれば前回の続きで田沼時代の話なのですが、イベントが終わってしまうと旬を過ぎるので、この稿を割り込みして掲載します。 昨年11月、菊まつりや菊人形についてご紹介しましたが、元々阪神間に住んでいたので、「阪神パーク」の菊人形は子供の頃何度…

念頭に大奥4

田沼意次は前回ご紹介したように、小姓として抜擢され、亡父意行の禄600石を継いだのが15,6歳の頃で、そこから40年足らずで大名となり俸禄は最初の100倍近くに膨れ上がりました。大名となると家来を雇わなければいけませんが、浪人や農民出身の家臣が多く、…