おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2021-12-01から1ヶ月間の記事一覧

radio a〜a〜 もしくは 生まれたてのradio5

ラジオドラマは大きな評判を呼びましたが、その反響と影響の大きさゆえに、脚本の事前検閲(監督官庁の逓信省による)や、リハーサル時には官吏が立ち会わなければならないという制約を受けることになってしまいます。 ラジオドラマ以外の誤訳番組としては、…

radio a〜a〜 もしくは 生まれたてのradio4

ラジオの受信者数増加とともに、購読者数を大幅に増やしたのが読売新聞です。本放送開始後わずか4ヶ月後の大正十四年(1925)十一月に、他に先駆けて「ラジオ版」を設けてラジオ番組を紹介したことが反響を呼びました。他の大手新聞、朝日や毎日が追随して「…

radio a〜a〜 もしくは 生まれたてのradio3

放送博物館は一階が受付になっていて、そこから三階のヒストリーゲートに進みます。 館内は撮影不可となっていますが、ところどころ「撮影可能ゾーン」があって、ここで紹介する写真はいずれもその「撮影可」のところで撮ったものです。 ヒストリーゲートの…

radio a〜a〜 もしくは 生まれたてのradio2

愛宕山上にはエレベーター(昨日のトンネル手前の階段近くに乗場があります)で上がることも可能ですが、会談で上がってみました。階段下との高低差がはっきりしませんが、表側の「出世の階段」ほど急ではないものの、結構足にきます・・ 放送博物館 山上に…

radio a〜a〜 もしくは 生まれたてのradio

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。 東京港区にある愛宕山は、東京二十三区内の最高峰(天然、自然地形の山として)です。といってもその標高は25.7m。日本の各地には愛宕山の名前をもった山が存在しますが、その多くは愛宕神社が祀られていて、その総…

廓噺(くるわばなし)は寄席2

本法寺の境内にある「噺塚」の前に置かれた案内板の記載をまとめると、 ・塚が建立された昭和十六年十月当時、国は戦時下にあり、各種芸能団体は演題演目について自粛を強いられていた ・落語界では演題を四つに分け、一番下の「丁」種(花柳界、酒、妾に関…

廓噺(くるわばなし)は寄席

圓朝とライバル柳亭(談洲楼)燕枝も明治三十三年(1900)この世を去りますが、二人が牽引したそれぞれの一門が切磋琢磨して落語会を盛り上げていきますが、明治三十六年(1903)にはSPレコードに落語が録音されました。最初に録音されたのは、橘屋円喬(四…

冗談は、寄席9

圓朝の墓の右横にある墓石に「先祖代々の墓」とあり初代から四代までの圓生がここに眠っています。「先祖代々」とありますが、この四人は「圓生」の名跡を継いだだけで、血縁関係があるわけではありません。 初代は圓朝の生まれる前年にこの世を去っており、…

冗談は、寄席8

ある時、寄席で出番を終えた圓朝が楽屋に戻ったところ、一人の男が訪ねてきて、自分の書いたものを読んでほしいと言います。自分で書いた新作の筋立てを見て批評してほしい、というのかと思いきや、読んでみると先ほど口座でかけた噺が、一字一句文字に起こ…

冗談は、寄席7

山岡鉄舟との出会いは明治十年(1877)のこと。圓朝と対面した鉄舟は、「今は亡き母が私の子供の頃、眠るときに『桃太郎』の話をしてくれた。今日はあなたに桃太郎を語っていただいて、亡母を偲ぼうと思う」と言い、圓朝に噺をせがみます。 圓朝は自慢の話術…

冗談は、寄席6

噺家が寄席で演じる演目は、通常事前に観客に演目を知らせて行うものではなく、その日の演者の気分で演じるのですが、当時圓朝が演じていたのは芝居噺、芝居の背景(書き割り)や鳴り物を入れて芝居と同様に噺として演じるものです。そのため、演目によって…

冗談は、寄席5

天保の改革で打撃を受けた落語席は、前回紹介したように安政二年(1855)には改革前以上の活況を呈しました。この年、一人の噺家が改名・真打に昇進します。三遊亭圓生(二代目)の弟子であった彼は、当時、浄瑠璃の新内語りとして人気のあった富士松紫朝に…

冗談は、寄席4

遠山金四郎景元は、大目付の名誉職に棚上げされ、実質上北町奉行を罷免された形で、政敵の鳥居耀蔵は南町奉行に加え、勘定奉行をも兼任し、更に大きな権力を手にします。(鳥居についてはまた別の機会に触れようと思います) 事態が動いたたのは翌年天保十四…

冗談は、寄席3

その人物の名は遠山金四郎景元、「遠山の金さん」として知られていますね。 北町奉行を務めていた景元は、南町奉行の矢部定謙と主に、老中水野忠邦、目付鳥居耀蔵と対立します。分不相応の贅沢と奢侈の禁止の方針の一部分には応じながら、極端な法令の実施に…

冗談は、寄席2

文化・文政期は、初代三笑亭可楽と彼が育てた(あるいは彼の周りの)噺家たちが活躍した時代です。可楽門下には「可楽十哲」と呼ばれた弟子たちがいたそうです。孔子の門弟「孔門十哲」や松尾芭蕉の「蕉門十哲」になぞらえたものですが、 その十人の中には、…

冗談は、寄席

寛政十年(1798)七月、山生亭花楽(のちに三笑亭 可楽)が、寄席興行を始めた下谷の「柳の稲荷」ですが、現在の下谷神社とされています。 下谷神社 最寄駅は稲荷町です 可楽は、「花楽」と名乗ったこともあるようですが、馬喰町に生まれ、元々の生業は櫛職…

落語あれば座り5

「噺の会」で発表された小噺などはまとめられ、「喜美談語」、「落噺詞葉の花」、「無事志有意」刊行されました。噺の会のメンバーは、世に知られた戯作者や狂歌師でしたから、これらの噺本の題名にも洒落がうかがえます。 「喜美談語」(きびだんご)は桃太…

落語あれば座り4

烏亭焉馬(うてい・えんば)は代々続く大工の棟梁の家に生まれ、本業の傍ら狂歌師、戯作者・浄瑠璃作家としても活躍しました。狂歌師としてのペンネーム?は「鑿釿言墨曲尺(のみのちょうなごんすみかね)」。これは本業が大工であることから、大工道具のノ…

落語あれば座り3

江戸では大坂と同じ時代に鹿野武佐衛門が出て、諸家に招かれて噺をする他、現在の八重洲近辺で小屋を設けて興行を行ったとして伝えられています。それにより武佐衛門は「江戸落語の祖」とも言われているのですが、彼の後、いったんは江戸での落語は勢いを失…

落語あれば座り2

落語の祖先といえるものは、戦国時代に武将が抱えた「御伽衆」(おとぎしゅう)にあると言われています。先祖代々の戦での功績や書物や諸国の見聞についての講釈をさせるために話し相手となる側近をそう呼んでいます。有名なところでは、豊臣秀吉に仕えた曽…

落語あれば座り

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。 ここの文章を含めて、本や新聞の文章は、話し言葉と同じように書かれています。こうした現在の一般的な文体を「口語体」と言います。江戸時代や明治初期までの文章がとっつきにくい主な理由は、古典的な文体である「…