おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ハラキリの真っ最中2

話は新正堂に戻ります。店の外には荘重な音楽がエンドレスで流れているのですが、この曲は昭和三十九年(1964)の大河ドラマ「赤穂浪士」のオープニング。「赤穂浪士」は、大河ドラマの第二作にあたります。 切腹最中 はみ出さんばかりの餡が特徴です 第一作…

ハラキリの真っ最中

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。 新橋駅から西へ10分ほど歩いたところに「御菓子司 新正堂」があります。 御菓子司 新正堂 暖簾に「切腹最中」と「新橋田村町」の文字が 「切腹最中」で有名な和菓子のお店ですが、「新」橋にあって、創業が大「正…

にらみが菊2

「団子坂」というのは、地下鉄千代田線の千駄木駅から西に本駒込まで伸びた道路にある坂です。ちなみに江戸川乱歩が明智小五郎を初めて登場させた「D坂の殺人事件」の「D坂」は、ここ団子坂を舞台としています。 youtubeで「団子坂 菊人形」と献策すると、文…

にらみが菊

子供の頃、阪神間に住んでいて、甲子園球場の東側に道路を挟んで「阪神パーク」という遊園地(2003年に閉園)がありました。個人的に動物園としてのイメージが強いのは、世紀の珍獣「レオポン」(ヒョウとライオンを交雑させたもので、日本にはここしかいま…

菊、菊、菊の谷だ~2

「造形」は、懸崖用の小菊を使って動物や五重塔などを模して作るものです。「懸崖作り」もそうですが、展示するにもそれなりの広さが必要となります。そのため、ある程度大規模な菊祭りでないと目にすることができません。 茨城県笠間稲荷の菊祭り 五重塔の…

菊、菊、菊の谷だ~

前回ご紹介した「三本仕立て」を基本として、本数を増やす「五本仕立て」「七本仕立て」も、花の咲く位置まで考えて茎を誘導(「誘引」と呼んでいます)したり、花の形状・大きさを揃える技術の見せどころです。逆に一本の大菊で魅せる「一本仕立て」もあり…

華が菊3

「一文字菊(いちもんじぎく)」は、長く幅広い花びらが円形に平たく広がって咲きます。皇室の「菊のご紋章」に似ていることから、「ご紋章菊」の別名もあります。「細管」以上に花びらが重力に負けてしまうため、輪台が欠かせません。 皿のように支える輪台…

華が菊2

菊の文字に「丸く握ったような形をした花」の意味があることは以前ご紹介しました。一つ一つの花びらが湾曲した集合体が「菊」を形どっているわけですが、「厚物」はその最たるもので、いわば「でっかいお握り」といっていいでしょうか。 この項で紹介する「…

華が菊

江戸時代に菊園芸は全国的に大きく発展したわけですが、宝暦五年(1755)には『菊経』という菊の栽培書が刊行されています。菊の栽培が大きなブームとなったのが正徳年間(1711~16年)で、京都から始まった「菊大会」「菊合わせ」は勝った方の菊の苗に一両…

推しが菊2

平安時代から、九月九日の「重陽の節句」に、菊の香りを移した「菊酒」を飲んで邪気を払い無病息災や長寿を願う風習が中国から伝わっていました。菊の香りを酒に移す、といっても、花びらを浮かべるくらいのものから、蒸した菊の花びらを一晩くらい花を浸す…

推しが菊

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。この季節、神社やお寺の境内などで、「菊祭り」が開かれます。また、見せ方の一つとして、最近ではだいぶ減りましたが「菊人形」などもあります。 日本には法律で定められた「国花」はありませんが、春の桜と秋の菊が…

八重洲の桜

12月20日に正式に開業した電車線「京浜線」ですが、その後もお披露目の日と同じ不具合が起きてしまいます。あまりに不具合が多いので、26日にいったん電車だけの運航を停止し、代行して蒸気機関車が牽引することとしました。やっと路線の整備が完了し、電車…

次電車操業

東海道線の始発駅として、鉄道開業時から利用されていた新橋駅ですが、12月20日からは始発駅の座を東京駅に譲ることになります。また、電車路線の「京浜線」は烏森駅を通っていたこともあり、この日を境に旧「新橋駅」は「汐留駅」として貨物専用の駅となり…

式典、罵倒

この日は東京駅開業日に併せて、もう一つイベントがありました。神尾将軍は横浜・高島町出発の電車に品川から乗り込んで東京駅に着いた、とご紹介しましたが、今度は議員たち来賓者を乗せて東京から横浜まで乗せて往復する、というものです。このあたり、新…

孫にも一笑

さて、この開業式典は「東京駅」の乗車口であるホールをメイン会場として開催されています。330坪の広さを持ち、ドーム型の天井の八方に十二支のレリーフがはめ込まれていています。(丑寅辰巳未申戌亥の8つで、十二支-八方のため、子卯午酉の4つがありませ…

吾輩は駅である 名前はまだない

この項ではずっと「中央停車場(東京駅)」という書き方を続けてきましたが、建設工事中も駅の正式名称は決定していませんでした。現在なら「高輪ゲートウェイ」のように公募で候補をあげて、その中から有識者が決める、というようなことも考えられますが、…

線路は続くよ東京までも11

明治四十三年(1910)9月に新永間市街線は開業しているにもかかわらず、中央停車場はこの時期まだ鉄骨を施工している最中で、本体の工事を施工する業者すら決定していない状態でした。その間仮駅として置かれたのが呉服橋駅です。東京駅から北に300mくらいの…

線路は続くよ東京までも10

中央停車場(東京駅)の完成の話の前に、上野~新橋を結ぶ鉄道の話に触れます。 遡って整理すると、新橋を起点とした現在の東海道線(官営悦道)と上野を起点とした現在の東北本線(日本鉄道株式会社)の間を結ぶ鉄道の計画は明治二十一年(1888)からありま…

線路は続くよ東京までも9

駅の構造は鉄骨煉瓦造というものです。明治二十四年(1891)に岐阜県南部を震源とする濃尾地震で、煉瓦造りの建物が倒壊、大きな被害が出たことから、「煉瓦造りは地震に弱い」と地震から10年の間、名古屋の街には煉瓦造りの建物が建たなかった、といわれて…

線路は続くよ東京までも8

その「事件」とは、日露戦争での勝利でした。この年5月の「日本海海戦」において、日本の連合艦隊はロシアのバルチック艦隊を撃破し、6月の米大統領による講和勧告を日露両国が受諾、9月5日の日露講和条約(ポーツマス条約)調印で正式に戦争が終結します。 …