おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

煙草(なつくさ)や つわものどもが煙のあと4

前回「珍物画伝」から、豚天狗となった岩谷松平の話を紹介しました。「珍物画伝」は、元々奇行で知られた人物を紹介する、新聞(おそらく大阪朝日新聞)のコラム的な連載記事でした。本としては明治四十二年(1909)に発刊されていて、国立国会図書館デジタ…

煙草(なつくさ)や つわものどもが煙のあと3

渋谷駅の南西の猿楽町に「天狗坂」と呼ばれる坂があり道脇に案内板が立っています。それによると、煙草専売法施行後、岩谷松平はこのあたりの土地13000坪で養豚業を始め、家屋敷もこのあたりにあったことがわかります。 渋谷と代官山の間にある天狗坂 明治末…

煙草(なつくさ)や つわものどもが煙のあと2

村井財閥は、村井銀行を中心として村井汽船、村井倉庫、村井貿易を設立し多方面に事業を展開していきますが、第一次世界大戦後の不景気で村井貿易が破綻したあたりから、財閥に暗雲が立ち込めます。その最中の大正十五年(1926)に当主である吉兵衛が急死、…

煙草(なつくさ)やつわものどもが煙のあと

タバコの収穫は6月中旬から9月中旬に収穫されますが、その間の7月頃に薄いピンクの花が咲くそうです。ただ、タバコの育成上栄養が花や実(種)にいかないよう、採種用のタバコ以外については花はすぐに切除されてしまうのだとか。収穫や開花の時期から、タバ…

三べえ回って煙草にしょ~天狗分け目の戦い4

岩谷松平の天狗煙草が「赤」をイメージカラーとしたのに対し、村井は白ずくめで対抗、岩谷が当時珍しい自転車で宣伝部隊を繰り出すと、村井は馬車を先頭に音楽隊をパレードさせるなど、宣伝はどこまでもエスカレートしていきます。 村井商会のタバコ宣伝車(…

三べえ回って煙草にしょ~天狗分け目の戦い3

村井吉兵衛が岩谷松平と対象的といわれる理由の一つに、「ハイカラ」なイメージがあります。明治二十四年(1891)に発売した「サンライズ」はネーミングもさることながら、日本ではまだ普及していない「両切タバコ」(これについては前々回ご紹介しました)…

三べえ回って煙草にしょ~天狗分け目の戦い2

岩谷松平と村井吉兵衛は「宣伝合戦」と世間周囲が囃すのも無理もないと思えるほど対照的でしたが、広告の重要性を知り、実践したという点では一致しています。 松平は、豪放磊落(ごうほうらいらく)そのものといったイメージです。天狗煙草のブランドを浸透…

三べえ回って煙草にしょ~天狗分け目の戦い

明治五年(1872)に土田安五郎によって国産第一号の紙巻きタバコが製造され、明治十四年(1881)には「博覧会」出品した商品が有功賞牌を受賞したところまでは、前回のテーマでご紹介しました。 とはいえ、紙巻きタバコを国内に大々的に広めたのは、明治十七…

煙に巻く、紙で巻く2

紙で巻く方の機械が発達しても、中に巻く刻みタバコがないと紙巻きタバコは大量製造できません。江戸時代の「器械」では生産効率が悪く、追いつきません。 以前の回で紹介した、「かんな刻み機」、「ぜんまい刻み機」の両者ですが、当初効率としては前者が優…

煙に巻く、紙で巻く

時は下り、開国・明治維新という歴史的イベントをへて、喫煙のスタイルも大きく変化します。パイプや葉巻などと共に、現在の喫煙の主流となる「紙巻きタバコ」(あえてここからカタカナ表記に変更します)が日本に入ってきました。 紙巻きタバコのルーツとし…

Smoking on the water6

武士による「無礼討ち」というものが認められていた時代です。 屑屋は真っ青になり、ひれ伏して非礼を謝りますが、若侍の怒りは収まる様子を見せません。周りの乗客も「関わり合いになって自分の命が危うくなっては」と黙ってしまっています。中間に槍を持た…

Smoking on the water5

岸柳島(がんりゅうじま)は、古典落語の一つで、元話は安永二年(1773)の笑話集「坐笑産」中の「むだ」という一節から発生した噺です。前回ご紹介した煙管の形状を思い浮かべると噺への理解がより深まります。 現在隅田川に「厩橋」がかかっている場所は、…

Smoking on the water4

刻みたばこの製法についてご紹介してきましたが、これを入れる袋と、喫煙具である煙管(キセル)を入れられるよう、専用の筒状の袋を合わせて持ち歩けるようにしたのが「煙草入れ」で、時代が下がるとともに機能性だけでなく、装飾性も増していきます。 これ…

Smoking on the water3

手刻みによる製法は、刻み専門の熟練職人が頑張っても一日で一貫目(3.75KG、普通の職人だとその7割くらい)の葉を刻むのがやっとでした。これでは増えていくたばこの需要に追いつきませんので、生産効率を高めていく必要が出てきました。 まず、19世紀初頭…

Smoking on the water2

この稿で紹介する喫煙具その他の写真は、墨田区の「塩とたばこの博物館」で撮影したものです。この博物館、昔は渋谷にありましたが、老朽化と手狭になった(収集物の増加が原因のようです)ことにより、平成二十七年(2015)から現在の場所で開館されていま…

Smoking on the water

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます私は煙草を嗜みませんが、落語で扇子を煙管(キセル)に見立てて、煙草入れ(架空)から刻み煙草を詰めて(これも煙草入れに見立てた手拭いから取り出します)火を点け、一服しては灰を落とす、というおなじみの落語の…

「大河への道」を観てきました

「大河への道」鑑賞してきました。実際に観たのは封切り翌日の5月21日なので、もっと早く採りあげてもよかったのですが、浅間山噴火と花菖蒲、どちらも佐原が絡んでいたこともあり、そちらの話を先に進めました。 現代パートが冒頭とラスト部分で、江戸時代…

(菖蒲の)時は今、雨がしたしる水無月かな5

「水郷佐原あやめパーク」は「潮来あやめ園」からは約3.5KM、車だと10分程度で移動できる距離です。さっきGoogleで調べたら、本日行かれた方が、「満開にはまだまだ、といったところ」と書かれていました。ちなみに今日の小岩菖蒲園もつぼみはたくさん出てい…

(菖蒲の)時は今、雨がしたしる水無月かな4

昭和二十五年(1950)、潮来公民館の主筆を務めていた本田潤哉さんという方が有志に呼びかけ寄付を募ります。集めた13,000円(当時 現在では20~50倍の価値にあたるでしょうか)で、明治神宮にある菖蒲園から花株137株を購入しました。とはいえ、すぐにあや…

(菖蒲の)時は今、雨がしたしる水無月かな3

水戸黄門として知られる徳川光圀は、水戸徳川家の第二代藩主です ドラマのように日本全国を漫遊したという史実はありませんが、領内各所を巡っており、それにちなんだ話が多く残されています。当時この地は「板来」と呼ばれていたのを、光圀が「これからは潮…