おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧

(菖蒲の)時は今、雨がしたしる水無月かな2

漠然と千葉県と茨城県の境界は利根川、という認識が強かったのですが、河口の銚子の当りはその通りでも、地図で川をさかのぼって見ると、佐原あやめパークは利根川より北にありますが千葉県は香取市内にあります。では県境はどこか、と見るともう一本北に支…

(菖蒲の)時は今、雨がしたしる水無月かな

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。 浅間山の噴火の話、思ったより長くなり、気づいたら春のバラの時期がほぼ終わってしまいました。京成バラ園などで色々写真は撮ってあったのですが、ご紹介はまた別の機会にしたいと思います。 ちょうど一年前、こ…

混ぜるな飢饉!負けるな飢饉!5

天明七年(1887)、江戸の庶民も米価の高騰に苦しみ、奉行所にお救い願いを行いますが、奉行所はこれを拒否、庶民の困窮を救済する策を打ち出しません。公儀に対する不信が高まり、ついに5月、赤坂や深川で大規模な打ちこわしが発生しました。 翌日には江戸…

混ぜるな飢饉!負けるな飢饉!4

天明四年(1784)に名主の役を免ぜられ、村方後見の役を命じられた忠敬は、同職の永沢治郎右衛門とともに、本来領主が行うべき佐原の行政を負わされるようになります。この両家が手持ちの貯蔵物を供出し、農民には種籾や緊急当座の食を貸し与え、手持ちの米…

混ぜるな飢饉!負けるな飢饉!3

飢饉の起こる前年、元号は天明元年(1781)と改められています。下総国佐原村の農民三郎右衛門は、領主津田氏(旗本)より村内の集落本宿組の名主に任命されました。 佐原の街並 舟運の中継地として栄えました さらに天明三年(1783)には、名字帯刀をも許さ…

混ぜるな飢饉!負けるな飢饉!2

最初にご紹介するのは山形の米沢藩です。米沢には二十数年前に訪れたことはあるものの、デジカメなどの掲載写真がありません。m(__)m 米沢藩は九代藩主、上杉治憲(うえすぎ・はるのり)の時代です。明和四年(1767)に家督を継ぎ、米沢藩の財政改革に取り組…

混ぜるな飢饉!負けるな飢饉!

「天明の大飢饉」をwikipediaで検索すると、「江戸時代中期の1782年(天明2年)から1788(天明8年)にかけて発生した飢饉である。江戸四大飢饉の1つで、日本の近世では最大の飢饉とされる」と記されています。飢饉が始まったのが、天明二年(1782)とあって…

浅間浅間よ朝陽が登る6

葛飾柴又といえば、寅さんシリーズの舞台として知られていますが、柴又のすぐ東には江戸川が流れ、向こう岸は千葉県松戸市矢切で、両岸を「矢切の渡し」の渡し船が繋いでいます。現在も運行されていて、渡し船で東京と千葉を行き来するという、貴重な体験を…

浅間浅間よ朝陽が登る5

都内の供養碑をご紹介する前に、「天明泥流」がどれほどのスピードで流れていったのか、天明泥流の目撃談は非常に多く残されていて、泥流発生後どのくらいの時間でどこまで到達したか、という研究もなされています。 それによると、前回話に出てきた群馬県長…

浅間浅間よ朝陽が登る4

天明の大噴火で8日に発生した「鎌原火砕流(かんばらかさいりゅう)」とか「岩屑流れ」は鎌原村を飲み込むと、大量の土砂を北に流れる吾妻川に注ぎ込みます。これを「天明泥流」といいます。 吾妻川(2019年 建設中の八ッ場ダムより) 昨年3月、群馬県長野原…

浅間浅間よ朝陽が登る3

天明3年(1783)7月5日の夜には、噴煙柱(ふんえんちゅう)と呼ばれる大量の火山灰や火山ガスを吹き上げた噴火を開始しました。この時、軽石が東南東の前橋や高崎方面へ厚く積りました。翌日には南東側の山麓村々の住民の中には逃げ出す者もいたとの記録があ…

浅間浅間よ朝陽が登る2

歴史資料の上では約90回の噴火記録(うち約20回に被害記録)のある浅間山ですが、「天明大噴火」(天明三年=1783年)は過去のどの浅間山噴火よりも大きな被害をもたらしました。 この前後には地球全体の火山活動が活発だったのか、1770年以降1783年までだけ…

浅間浅間よ朝陽が登る

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。3年前の夏、「鬼押出し園」を訪れたことがあります。最初から目的地としていたわけではなく、草津温泉に宿泊し、その周辺でたまたま立ち寄りました。靄がかかった日で、ゴツゴツとした岩の間から観音堂の屋根がうっ…

大河への道も一歩から

今日(5月10日)朝のニュースで、前日新宿ピカデリーで行われた「大河への道」の先行プレミア上映イベントを取りあげていました。伊能忠敬が主人公の大河ドラマ実現を目指す話、というのは以前に聞いて知っていたのですが、どういう内容か、いつ上映するのか…

風呂ネギの端午4

元々中国には、前述のように菖蒲を刻んで酒に入れて飲む、という風習がありました。日本においては戦国時代初期に、宮中で菖蒲湯を使ったという記述があるのですが、菖蒲を束ねて作った枕を5月4日に用い、翌日5日に枕をほぐして湯に浮かべたようです。 庶民…

風呂ネギの端午3

五色の吹き流しが、元々の幟(のぼり)が原型なのですが、五色には「空・風・火・水・地」という中国の五行の意味があります。また幟は神様や地域に対して、跡取りとなる息子が生まれたことを告げる意味もありました。 鯉のぼり 山形県 紅花資料館 武家にお…

風呂ネギの端午2

「端午の節句」は別名を「菖蒲の節句」といいますが、去年の5,6月にたくさんとりあげた「花菖蒲」とは別ものです。「菖蒲」の葉によく似ていて、花が美しいところから「花菖蒲」と呼ばれるようになりましたが、前者はショウブ科(かつてはサトイモ科とされ…

風呂ネギの端午

ようこそのお運び、あつく御礼申し上げます。さて、ゴールデンウィークの核となる祝日は、「憲法記念日」と「こどもの日」ですが、後者の由来などのお話をさせていただきます。 こどもの日である5月5日は、「端午の節句」として、五月人形を飾ったり、こい…

迷えるツツジ5

根津神社境内には、摂末社として社殿の西側に、つつじ園から千本鳥居を進んだ先にある「乙女稲荷」と、更に北側に「駒込稲荷」があります。 千本鳥居の先に「乙女稲荷」が祀られています 朱色の鳥居が立ち並ぶさまは、京都の伏見稲荷を小さくしたような景観…