おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧

松根込めて

「松明」と書いて「たいまつ」、松脂(まつやに)という言葉が一般的に知られるように、可燃性の樹脂が含まれ、火が着きやすく消えにくいことから、古代から灯りとして用いられてきました。「焚き松」「手火松(たびまつ)」というのが、「たいまつ」の語源…

垂涎の松

万葉集に詠まれた植物の数でいうと、1位と2位は萩(141首)に梅(118首)。3位は「松」で79首。4位5位が「橘」(68首)「桜」(50首)という順番です。松も花をつけるものの。その花を詠んだ歌はざっと見たところ見当たりません。 「待つ」と「松」をかけて…

わたし松葉、いつまでも松葉2

また、「松」というと「松竹梅」としておめでたいものの代名詞的に使われます。中国において、冬でも青々として色褪せない松と竹、また寒中に花を開く梅を「歳寒三友」として尊んだのが起源とされています。その姿が「清廉潔白」や「節操」といった中国の文…

わたし松葉、いつまでも松葉

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。 十日ほど前の話で恐縮ですが、17日に新宿末廣亭の正月二之席に行きました。二之席は2020年以来の拝見となり、その時はコロナが流行する前で、伊勢丹で買ったお弁当を食べながら観覧できたのですが、今は感染防止の…

腹を召しませ 召しませ腹を3

岡崎藩水野家(9名をお預かり)や、伊予藩松平家(同10名)でもほぼ同じ流れで切腹は行われました。他藩より厳重な警備をしていたのが松平家で、鉄砲を持った足軽を待機させて、切腹者が脇差を持って暴れたりした場合に備えています。現在であれば万一の事を…

腹を召しませ 召しませ腹を2

10名の赤穂浪士を預かった長府毛利藩での話を紹介します。毛利藩というと、幕末の長州藩(36万9千石)が思い浮かびますが、こちらは支藩(5万石)にあたります。下の地図(「大江戸今昔巡り」より)では地図の一番下側に「長門府中藩 毛利左京亮」とあります…

腹を召しませ 召しませ腹を

細川家で赤穂浪士達の世話役を命じられたうちの一人(接伴役は19名)堀内伝右衛門(ほりうち でんえもん)は、その役にあった三か月弱の間、同じ侍の一人として浪士たちの行動に感動し、単なる仕事でなく積極的に彼らに接し、会話したことを「堀内伝衛門覚書…

てんで腹々

2ヶ月弱お預けとなった赤穂浪士たち、最初の頃は預け先毎に扱いが異っていましたが、藩同士で情報を交換し合ったか、あるいは世評を気にしたか、年明けくらいからは細川家以外の藩でも浪士たちへの扱いは良くなったようです。 細川家では厚遇が続き、浪士か…

ちゃんちゃん腹々

江戸の庶民は、赤穂浪士の討入りを「忠義の行動」として称賛しており、好意的な目で見ていたようですが、幕府にとっては徒党を組んで旗本の屋敷に押し入り、元当主(養嗣子に家督を譲って隠居)を殺傷するという、ある意味極悪人です。そのため、その処分を…

肥後の庇護2

細川綱利は、浅野内匠頭が数え年9歳で赤穂藩主となったときにその後見となっていた縁もあり、その仇を討った浪士たちを英雄を見るような感情だったのでしょうか。 肥後細川藩下屋敷は泉岳寺のそば、白金のあたりにありました 当時の庶民も、細川家が浪士たち…

肥後の庇護

一行は虎ノ門にあった仙石伯耆守の屋敷まで護送され、事情聴取を受けた後、各藩に移動しています。引渡先の藩ごとに浪士たちを分け、細川、松平、毛利、水野の順に引き渡されました。泉岳寺の浪士の墓も、その際に預けられた藩ごとに並べられ葬られています…

吉良 KILLER TEAM5

見物人を下がらせて、泉岳寺門内に入った浪士たちですが、大石は「御仏前に槍の先を向けるわけにはいかない、と皆に指示を下し、それより先に主君の墓に直接向かったといいます。墓参の後には本堂に上がっていることから、寺僧たちが先に本堂に上がるよう勧…

吉良 KILLER TEAM4

四十七士を出迎えた泉岳寺の記録によると、この時の様子は以下のようなものでした。 この日泉岳寺の僧快舟が門の近くまで行き外を見たところ、見馴れぬ装束をし抜身の槍(原文では「鎗」)を持った3人がやってくるのが見えました。出家の僧らは「これは何を…

江戸を(つっ)きる

吉良の首を挙げた浪士達は、亡き主君・浅野内匠頭の墓前に首を供えるため、墓のある泉岳寺へと向かいます。今だと吉良邸の最寄駅、両国の隣駅「浅草橋」から「泉岳寺」は都営浅草線で17分(8.3km)で結んでいますが、当然浪士たち行列をなして徒歩で向かいま…

吉良 KILLER TEAM2

表門、裏門から邸内に入り込んだ四十七士は、かねてから入手していた図面を元に吉良上野介の寝間に向かいますが、吉良は既に逃げ出していました。茅野和助が吉良の布団に手を入れ、まだ温かみが残っていたことから、まだ寝間を出たばかりだと判断、四十七士…