おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2023-07-01から1ヶ月間の記事一覧

もしも明日が羽仁ならば2

「自由学園」の創立は大正十年(1921)で、そのネーミングはいかにも大正デモクラシー真っ只中の気風が感じられます。設立者は羽仁(はに)もと子、吉一(よしかず)夫妻。 この羽仁もと子という人は、朝の連続テレビ小説のヒロインになってもいいくらいのド…

もしも明日が羽仁ならば

同じライトの設計の中でも、自由学園明日館は学び舎であり、少し毛色が異なる気がしますが、基本的な理念を貫いた設計です。 まず外観。高さを抑え、横に広がったような姿は、帝国ホテルの正面とも共通します。 明日館模型 芝生の校庭を囲むデザインです ま…

そうだ、ライト行こう6

話は旧山邑邸に戻ります。帝国ホテルライト館が一部明治村に残されたとはいえ、大部分が取り壊され、新たな本館が建てられたように、この邸宅も一時は取り壊されそうになる危機がありました。 4階食堂の暖炉 他の部屋の暖炉とデザインがそれぞれ異なります …

そうだ、ライト行こう 番外編 帝国ホテル記念展示に行こう3

ドラマは安田顕さんが片腕の煉瓦職人である久田を熱演されていました。彼の記事を書くように依頼された女性ライターが久田の実像(本当に詐欺師だったのか)に迫っていくのですが、その女性ライターを元五輪フィギュアスケーターの村上佳菜子さんが演じてい…

そうだ、ライト行こう 番外編 帝国ホテル記念展示に行こう2

このブログでは、ライトの建築に多く使われた「大谷石」を紹介してきましたが、帝国ホテルで大谷石と並んで使用され、特徴づけているのが煉瓦です。ライトは建築にあたって鉄筋コンクリートの表面を覆う型枠兼仕上材として、黄色い煉瓦を使うことを考えます…

そうだ、ライト行こう 番外編 帝国ホテル記念展示に行こう

芦屋の旧山邑邸の紹介の途中ではあるのですが、ライトつながりで番外編を挿入させていただきます。 今年、ライト館が開業100周年を迎える、というので帝国ホテルでは記念展示を行っています。開業100周年ということは、関東大震災からも100年が経ったという…

そうだ、ライト行こう5

山邑太左衛門がライトに邸宅の設計をオファーすることになった(できた)のには、太左衛門の長女の婿にあたる「星島 二郎(ほししま にろう)が関わっています。東京帝国大学法科大学法律学科を卒業後、弁護士となるかたわら、政界を目指して犬養毅(5・15事…

そうだ、ライト行こう4

この稿では、和室の奥に続く洋室などの部屋の写真を紹介していきますが、写真につける解説以上の詳細な紹介分は書けません。なので文章では邸宅の施工主であり、持主でもあった八代目 山邑太左衛門がどういう「つて」でライトに設計を頼むことになったのか、…

そうだ、ライト行こう3

ちなみにこの邸宅は4階建てで、館内図は↓の通り。 最初の応接室にあった館内図 正面だと照明が映り込むためこの角度で 当然バリアフリーという思想のない時代なので、階段はあるものの階ごとの高低差があまりないので、階段での移動はそれほど苦にはなりませ…

そうだ、ライト行こう2

振り向いた暖炉の写真がこれ↓ 応接室の暖炉 前回の写真だと真正面が窓でわかりにくかったかもしてませんが、高い方の天井に照明を設けず、部屋周辺の低い天井に照明を設け、間接照明で部屋を照らします。照明のところの大谷石の装飾が浮かび上がります。 暖…

そうだライト、行こう

邸宅の内部の前に、ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)のロケーションをご紹介します。 阪急神戸線「芦屋川」駅のすぐ横を芦屋川が流れますが、奥に六甲山を臨みますがその途中の緑に囲まれた一角、建物の一部がのぞいています。 芦屋川の線路沿いから 樹に囲まれた…

多産の石

ライトが最初に選んだのは、石川県で算出する「菩提石」でした。通称を「蜂の巣石」ということからも、この石も無数の穴を持った凝灰岩です。が、この石には算出量が少ないという弱点がありました。帝国ホテルのような大規模建築に使用するにはそれなりの量…

自由な明日は、芦屋で光(ライト)を堪能4

周囲の建物が次々と倒壊する中、帝国ホテルは小規模な損傷のみでした。ライトの設計は「エクスパンションジョイント」という、建物全体を10のブロックに分け、異なる形状をつなぎ合わせることにより地震などの外形的な力を分散させる構造になっていました。…

自由な明日は、芦屋で光(ライト)を堪能3

ジュリアン・カールトンが何故このような凶行に及んだのか、動機はわかっていません。というのも、彼はボイラー室に隠れて塩酸を吞み下して自殺を図りましたが、のどが焼けただれた状態で発見されました。食道が塞がったような状態で獄中につながれ、7ヶ月後…

自由な明日は、芦屋で光(ライト)を堪能2

1893年、ライトは7年間勤めていた設計事務所から独立、26歳の時でした。その後1910年までの17年間で200件近い建築の設計を行ないます。屋根裏や地下室などを廃して建物の高さを抑え、水平線を強調した佇まいの彼の建築様式はプレイリー・スタイル(Prairie S…

自由な明日は、芦屋で光(ライト)を堪能

フランク・ロイド・ライトは主にアメリカの建築家で、「近代建築の三大巨匠」の一人として知られています。あとの二人はというと、 ミース・ファン・デル・ローエ(ドイツの建築家) ル・コルビュジエ(スイスの建築家) ですが、日本国内に作品がある(残る…