おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

ペン(文)は剣(武)よりも綱吉3

延宝八年(1680)に将軍となった綱吉、先に述べたように大老であった酒井忠清を辞職させ(実質的には解任・罷免)、老中であった堀田正俊を後任の大老に就けました。正俊の養母は春日局、妻は春日局のひ孫にあたります。酒井忠清が宮家の将軍を推したのに対…

ペン(文)は剣(武)よりも綱吉2

将軍綱吉の母、桂昌院ですが、ドラマ「大奥」では、側室(お玉)時代を奥智哉さんが、晩年を竜雷太さんが演じました。そのギャップに「同一人物?」と感じられた方も多いのではないでしょうか。しかし、若年時代に起こした罪に晩年になって苦しめられる姿と…

ペン(文)は剣(武)よりも綱吉

将軍になって、大老酒井忠清に辞任を命じた綱吉ですが、忠清の行った「越後騒動」に関する裁定をやり直ししています。「越後騒動」は越後高田藩で、「筆頭家老」側とその反対派の間で起こったお家騒動です。 ここではその騒動の詳細は延べませんが、大老酒井…

後継の光景3

四代将軍家綱には正室浅宮顕子(あさのみやあきこ)がありましたが、家綱に先立ちこの世を去ります。側室にはお振の方(家光側室とは別人:養春院)、お満流(まる)の方(円明院)がありましたが、死産・流産によりこの世に生を受けた子はありませんでした…

後継の光景2

三代将軍家光は、後継として早くから竹千代=家綱を決めていたようです。そして寵愛する「お万の方」に「春日同様」に奥向きを取り締まるように命じ、これによりお万は大奥の支配者となりました。 ドラマではお万=有功が家光に願ったように描かれていました…

後継の光景

改めて整理すると家光には五人の男子がありました。()内は母親の側室名です。 竹千代(お楽の方):長男 寛永十八年(1641)生まれ。正保元年(1644)に家綱と改名、翌年元服。慶安三年(1650)西の丸に移り、翌年家光薨去を受け四代将軍となる。西の丸は現…

側室!発幸2

お夏の方が懐妊した年は、ちょうど家光の厄年にあたっていました。そのため、生まれてくる男児に災厄がかからぬよう姉の天樹院に相談します。「天樹院」とはかつて豊臣秀頼に嫁ぎ、豊臣家滅亡後は本田忠刻と結婚した「千姫」のことです。 小石川傳通院にある…

側室!発幸

話は永光院ことお万の方に戻ります。春日局とお万の方の間でドラマのようなやりとりがあったかどうかはわかりませんが、家光より春日局の後を継いで大奥を取り仕切るように命じます。 大奥において、将軍との間に男児を出産すると「お部屋様」となります。(…

小さく生んで大奥育てる5

家光が世継をもうけるよう、側室探しに奔走する春日局ですが、お振やお万の他にお蘭(お楽に改名)、お夏、お玉、お里佐、おまさなどを大奥に入れています。これだけで「七色飯」になっていますね(笑)。 側室を増やすだけでは、秩序が保てなくなってしまう…

小さく生んで大奥育てる4

「大奥」シーズン1が先日最終回を迎えました。秋のシーズン2へのイントロ含め、続編に期待をもたせる良い最終回でしたね。このブログはまだ家光篇の追っかけ状態で、お万の方こと永光院のお話です。諸説あるものの、伊勢の尼寺慶光院の院主跡目の挨拶で家光…

小さく生んで大奥育てる3

男色にふける家光(寵愛する小姓が3人いたとか)に対して、その血筋が絶えないよう、彼にあう女性を探すことに務め、大奥の基礎を確立します。ドラマでは堀田真由さん演じる家光の命で中臈たちが女装して宴を設けるシーンがありましたが、史実にもこの元にな…

小さく生んで大奥育てる 番外編

春日局のお話の途中ではありますが、本日は番外編。というのは放送博物館一階エントランスホールで展示中の「大奥」歴代将軍衣装(といってもドラマに出てきたのは三代:家光、五代:綱吉、八代:吉宗の3人だけですが)を見に行ったので、先にそのご紹介をさ…

小さく生んで大奥育てる2

火曜ドラマ「大奥」は三代将軍家光の時代から始まります。家光の御台所(正妻)は鷹司孝子(たかつかさ たかこ)という人物ですが、ドラマには全く出てきません。関白鷹司信房(のぶふさ)の娘で、輿入れしたのが家光が三代将軍となった元和九年(1623)の12…

小さく生んで大奥育てる

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。NHKの火曜ドラマ「大奥」を楽しみに観ています。次回がもう吉宗篇の最終回ですが、秋にもシーズン2の放送が決定していて、幕末まで繋がるそうです。先が気になって、原作の漫画も一気買いしてしまいました。さて…

対策、松ったなし!

wikipediaの記載によると、善養寺の「影向の松」も「1970年頃から葉の勢いに衰えが見られるようになっていた。秋に褐色となった葉が、冬に大半が落葉したため、土壌に養分を与えて樹勢を回復させたが、1980年代にまた病害に遭った。」とあり、岡野の松が枯死…

センチュウでござるぞ!2

「マツノザイセンチュウ」による被害を、「松くい虫」などと名付けられたのには、枯死した樹からキクイムシ・ゾウムシ類が多く発見されるからですが、これらの昆虫は松が弱り出してから樹に侵入したものではありません。この線虫が日本で発見されたのは、昭…

センチュウでござるぞ!

「マツクイムシの被害にあう」などと表現される「マツクイムシ」、辞書で調べると、[「松の樹皮と材部の間を食い進むなどして枯死させる害虫。キクイムシ・ゾウムシ類をさすことが多いが、マツノザイセンチュウによる被害が大きい。」とのこととあります。ま…