おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧

米米グラフ(KOME KOME WAR)

株価の推移をあらわすグラフを「株価チャート」と呼んでいます。一日の動きを日足(ひあし)と呼びますが、寄値(相場スタート時につけた値段)終値(相場終了時につけた値段)高値(その日の一番高い値段)安値 (その日の一番安い値段)を「ローソク足」で…

けちん坊将軍2

「米将軍」と呼ばれた訳は、米の相場に目を光らせ、米価の安定(特に下落対策)に心を砕いたからですが、そこに至るまでに、税収を増やすための施策をいくつか打っています。 そのひとつが「上米の制」、大名から一万石につき百石の上納金(米)を差し出させ…

けちん坊将軍

ドラマ「大奥」では、他の将軍が豪華絢爛な衣装を身に纏っているのに対して、黒を基調とした吉宗の装いは、シックといえば聞こえはいいですが、地味な色合いで華やかさは感じられません。紀州の時代から木綿を身に着けていた吉宗の倹約家らしさを現していま…

尾張除(よ)ければすべて吉宗3

四谷の屋敷に母本寿院を訪れ、饗応の食膳を終え、(饅頭を食べた)後に急に苦しみだして吐血⇒悶死という異常極まりない死に方をしたのです。近侍していた医師も看病するそぶりがなかった、とも伝えられています。「元禄御畳奉行の日記」として知られる尾張名…

尾張除(よ)ければすべて吉宗2

幼くして亡くなった七代将軍家継(この名前も皮肉な感じがしますが)の後継として、「直系としての血のつながり」ということでは、松平清武がいました。この人は六代家宣の弟(母親も同じ)、つまり家継の叔父にあたります。家宣の正室天英院は、当初清武を…

尾張除ければすべて吉宗

ドラマ「大奥」(原作のコミックも同じですが)の冒頭は、三代将軍の時代、若い男子のみが罹患し高死亡率の伝染病、赤面疱瘡(あかづらほうそう)によって男が激減した状況を紹介した後、舞台は八代将軍への代替り直前の市井です。中島裕翔さん演じる貧乏旗…

犬(けん)もほろろ

五代将軍綱吉の後、六代将軍家宣と七代家継の時代、コミックでは、側室月光院(左京の局)のくだりや、「大奥」最大のスキャンダル「絵島生島事件」(七代家継の時代の事件など、しっかりと描かれていましたが、ドラマではバッサリ割愛されています。日本史…

末期のミス2

ドラマ「大奥」では、綱吉がうなされて「佐」と右衛門佐を呼ぶ枕元に柳沢吉保が侍し、綱吉と言葉を交わします。「欲得の無い慈しみを教えてくれた、佐だけがのう」と言う綱吉に、「そうですか」と悲しみに満ちた表情を浮かべた吉保は、水に濡らした手拭いを…

末期のミス

綱吉がこの世を去ったのは、宝永六年(1709)1月10日のこと。ウィキペディアで享年64と書かれながら、満年齢の表記はありません。日本史上の人物の死亡年齢の表記で、享年と満年齢の併記されたりされなかったり、何の違いがあるのでしょう。 享年は「数え年…

煩悩の犬、大江戸も去らず3

綱吉が甥の綱豊に家宣の名を与え、その家宣が江戸城西の丸(引退した将軍や次の将軍候補が住みました)に入ったのが宝永元年(1704)の年の瀬12月のこと。改名にあたって養子にもしており、ここに綱豊(家宣)こそが将軍の後継者であると決定します。 「大奥…

煩悩の犬、大江戸も去らず2

ここで名前の出てきた徳川綱教(つなのり)は、紀州徳川家第三代藩主です。元禄十一年(1698)に父光貞が隠居し、三代藩主の座に就きました。御簾中(ごれんちゅう、正室のこと)は鶴姫、すなわち綱吉の娘、早逝した徳松の姉に当たります。つまり綱吉からみ…

煩悩の犬、大江戸も去らず

ドラマ「大奥」(原作のコミックでもそうですが)で晩年の綱吉と精神的なつながりで結びついた右衛門佐が大きな存在となっています。将軍の子を残すことを強いられる綱吉に対し、男と女の結びつきとは、それだけではございますまい、と綱吉に言い放ち、二人…

災害や意外2

ドラマ「大奥」で仲里依紗さん演じる綱吉と、山本耕史さん演じる右衛門佐の初対面のシーン、右衛門佐は孟子の講義を行っていました。孟子が周の武王が殷の紂王を滅ぼしたことを良しとしていることについて問いただします。 「愚かな主君は民によって殺されて…

災害や意外

綱吉の治世は延宝八年(1680)から宝永六年(1704)の24年間にわたりますが、その後半は災害の連続でした。「天下大変 国立古文書館」のワードで検索すると、江戸時代の主な災害が年表形式でまとめられています。 これを綱吉の治世と重ね合わせると 延宝八年…

犬々、続々2

生き物を憐れみ大事にすることが、野犬の増加を生み、犬の収容所である大規模な「犬小屋」の建設へと繋がっていきました。 私的に犬を飼うと、粗末に扱ったりすれば「処罰される」リスクが生じます。それを避けるため、犬を飼うのを止め解き放たれ、町や村で…

犬々、続々

幕府が新たに「犬小屋」を四谷・大久保・中野の地に建設したのは元禄八年(1695)のこと。前回ご紹介したように、喜多見の犬小屋は病気の犬を収容するとともに、子犬を保護する目的で設けられました。それに対し、新設された犬小屋には、主に飼い主のいない…

SOBAYA ソバヤ2

牧野成貞と柳沢吉保の二人は、いずれも綱吉が将軍になる前からの家来ですが、年齢的にみると、綱吉から見て、成貞は11歳年長、吉保は13歳年下。側用人に任ぜられた時期は成貞が天和元年(1681)、吉保が元禄元年(1688)。 そうした年齢差と登用の時期の違い…

SOBAYA ソバヤ

綱吉の時代から置かれた役職に「側用人」があります。将軍の命令を老中に伝え、老中の上申を将軍に取り次ぐ役割を担いました。先にも名前の出てきた牧野成貞が天和元年(1681)に「側衆(そばしゅう」の中から抜擢したのが最初といわれます。 江戸幕府におい…