おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

聖地・張切り Show View 宴2

200の品種のうち、ほぼ半分が菖翁花の系統を受け継ぐ、江戸系、とくに江戸古花といわれる系統が占めるのに加え、同じ色や見栄えの花が隣り合わないように配置されるという、まさにショーガーデンの要素がふんだんに取り入れられています。 乱数でどこに何を…

聖地・張切り Show View 宴

花菖蒲についていかにもな話を述べてきたわけですが、本日、堀切菖蒲園を見てきて反省しました。 私、菖蒲の奥深さを全く分かっていませんでしたm(__)m というくらい堀切菖蒲園のすごさを実感したわけです。 堀切菖蒲園入口「江戸名所のひとつ」の言葉に自負…

アヤメとカキツバタ、いざ尋常に勝負菖蒲4

菖翁が59歳のころの話です。肥後熊本の藩主、細川斉護が彼の屋敷を訪れ、菖蒲を鑑賞し、その素晴らしさに感動し、分譲を依頼しました。しかし、「細川は金持ちであるから、花屋で買えばよかろう」という返事。斉護はやむなく江戸中の花屋を探し回らせました…

アヤメとカキツバタ、いざ尋常に勝負菖蒲3

「菖翁」松平定朝が菖蒲を育てたのは、自身の屋敷のあった麻布桜田町でした。現在は元麻布三丁目、中国大使館のあたりです。そういう意味では、元麻布は菖蒲発展の地、といえるかも知れません。 彼は晩年に、自身の作り上げた品種の紹介や栽培方法をまとめた…

アヤメとカキツバタ、いざ尋常に勝負菖蒲2

菖翁=松平定朝を検索すると、安永3年(1773)〜安政3年(1856)に生きた江戸幕府の旗本で、花菖蒲の育種家。と紹介されています。 安政元年が、日米和親条約締結の年ですから、江戸後期から幕末の入口くらいまでの八十余年を生きたわけですね。 様々な草花…

アヤメとカキツバタ、いざ尋常に勝負菖蒲

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。 前項、獄門とか処刑とか穏やかでないテーマの上に、墓石の写真ばかりで華がないお話でした。この項は、華やかにいきたいと思います。 首都圏もまもなく梅雨に入る時期ですが、梅雨空はともかく、この時期を彩る花と…

小柄な鼠が金盗って誅 余談

さて、この項では小塚原回向院に葬られる受刑者を何人か紹介していきましたが、 安政の大獄で処刑された吉田松陰・橋本佐内・頼三樹三郎の墓や、桜田門外の変の首謀者の一人、関鉄之助の墓などもあるのですが、これらの話や解体新書にまつわる話は、また別の…

小柄な鼠が金盗って誅9

鼠小僧が庶民に人気があったのは、一つには、盗みに入ったのが武家屋敷(主に大名屋敷)だけだったこと、また徒党を組んで押し入ることなく殺生もしなかった、という点が挙げられます。これについては、本人に言わせると、大名屋敷は敷地が広大で部屋数も多…

小柄な鼠が金盗って誅8

鼠小僧が2度目に捕縛されたのが、天保3年(1832)5月のことでした。前回の自白内容は、その時の尋問の際のものです。この自白内容が、「鼠賊白状記」として残されています。この題名で検索すると、なんと国立公文書館のデジタルアーカイブがヒットします。明…

小柄な鼠が金盗って誅7

表題に「鼠」と名付けながら、7回目にしてやっと主役の番が回ってきました。 「鼠小僧」こと本名「次郎吉」は文政6年(1823)から天保3年(1832)の間、江戸の武家屋敷を荒らしまわった盗賊です。最後は獄門になりましたが、これは二度目の捕縛で、最初に捕…

小柄な鼠が金盗って誅6

伴侶を二十三歳の時に失ったお傳は、しばらくして小川市太郎というやくざ者と良い仲になってしまいます。明治初期に盛んだった茶の販売に手を出した二人ですが、次第にうまくいかなくなり、後藤吉蔵という男に二百円の借金を頼みます。 吉蔵はお傳の異母姉(…

小柄な鼠が金盗って誅5

「腕の喜三郎」の隣に眠る「高橋傳」も、小塚原で刑死したわけでなく、明治12年(1879)に市ケ谷監獄(曙橋駅から北西にいったところに刑死者慰霊塔があるそうです)で斬首されたので、ここに葬られる縁がよくわかりません。 俗名 高橋お傳 墓 今の群馬県み…

小柄な鼠が金盗って誅4

前回の写真では見づらいので、ひとうひとつ拡大して 「腕の喜三郎」墓 「腕の喜三郎」どういう人だったか、検索すると ・江戸時代の侠客 ・寛文年間(1661-1673年頃)に「野出の喜三郎」と称する五人力の侠客で、神田で武士(旗本)達と喧嘩になり、相手をさ…

小柄な鼠が金盗って誅3

回向院の入口から中に入ってすぐ、正面に刑場跡の案内板があります。 刑場跡の案内板 案内板右下に配置図のようなものが描かれているので、アップにして撮影してみました。 刑場内の墓地の一部の配置図 吉田松陰、橋本佐内など、安政の大獄で刑死した教科書…

小柄な鼠が金盗って誅2

好きな落語の演目に「くっしゃみ講釈」という演目があります。恋路を邪魔した講釈師への復讐のために、講釈場の火鉢で胡椒の粉をいぶして講釈師の出番を邪魔しようとする話なのですが、落語の中に講釈の語りだけでなく、前の段階で覗きからくり(覗き穴から…

小柄な鼠が金盗って誅

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。 時代劇のお白州で、お奉行さまが罪人に刑を申し渡すシーンがありますね。「遠島を申し付ける」とか。遠島は「所払い」(居住している地域へ立ち戻ることを禁止)などの追放刑に比べると重い刑罰ですが、それでも命は…

上水の樋(ひ)から水が漏る8

上水の話、いったん終了、と申し上げたのですが、玉川上水側の写真の乏しさを見かねた先輩から写真をいただきました。感謝・感謝です! ひとつは玉川上水の羽村取水堰。多摩川の水を上水に誘導するために作られたもので、ここが上水のスタート地点といえるも…

上水の樋(ひ)から水が漏る7

羽村の取水口から四谷まで、長さは約43キロメートルありますが、高低差はというと、わずか92メートルしかありません。高低差のみで水を運ぶ「自然流下式」の上水ですから、この高低差の無さを補う技術は相当高いものだといえます。 ちなみに京都にいたときに…

上水の樋(ひ)から水が漏る6

玉川上水は、青梅線羽村駅から西に約500Mの多摩川から取水し、四谷四丁目交差点付近にあった四谷水番所までを開渠でつないでおり、その全長は42.74キロメートルあります。 玉川上水の工事が始まったのが、三代将軍家光の時代、承応2年(1653)のことです。す…

上水の樋(ひ)から水が漏る5

中央・総武線「水道橋駅」の駅前に「水道橋」の碑があります。 水道橋の碑 文字が潰れて詠み辛い・・・ 二行ほどの説明文に、「水道橋の名は、江戸名所図会によれば、この橋の下流にかけ樋があったことに由来します。」とあります。「かけ樋」は「懸樋」、つ…

上水の樋(ひ)から水が漏る4

前回、「七井之池」、現在の「井の頭池」が神田上水の水源として選ばれたところまででした。察しの良い方なら、「井の頭」=江戸の井戸の頭、が語源なのでは?と気づかれると思います。命名者は徳川秀忠(二代将軍)とも、家光(三代将軍)とも言われていま…

上水の樋(ひ)から水が漏る3

ドラマ「家康、江戸を建てる」で、佐々木蔵之介さんが演じていた、大久保藤五郎(忠行/主水)は、家康が三河にいた頃からの家来ですが、ある戦いで負傷・落馬したことがもとで歩行が不自由となってしまいます。そのため、侍として戦場に出ることができなくな…

上水の樋(ひ)から水が漏る2

「江戸」の地名は平安時代後半に発生したといわれていますが、江(川・河)の入口(戸)が語源という説が有力です。 平安時代末期から鎌倉時代には、この地の名前を名乗った「江戸氏」がこの地を支配しました。しかし、室町時代にはその勢力が次第に衰えてい…