2025-07-01から1ヶ月間の記事一覧
辰五郎達3人がが無銭見物しようとしたのが喧嘩の発端、とされており、これをみると火消方に非のある話なのですが、少し説明が必要です。相撲が行われている芝神明社の地の消火活動を担当しているのが「め組」でした。 め組の火消し 芝は担当地域です 辰五郎…
明治時代に歌舞伎「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)」の題材にもなった「め組の喧嘩」は文化二年(1805)二月に起こった、町火消し「め組」の面々と江戸相撲の力士たちとの乱闘事件です。火消しVS力士、ということからもわかるように、火事…
いくつかのHPでこの喧嘩について検索してみましたが、きっかけやその騒動で発生した被害や処罰者の詳細まではわかりませんでした。わかったのは、 ・日本橋や京橋の「大通り」側から霊岸寺に向かった一番組に対して、蔵前方面からやってきた八、九、十番組が…
前回ご紹介した「消し口を取る」というのは火消しにとって、戦国武将の「一番槍」や「一番首」と同じく功名の証でしたから、「消し口争い」から喧嘩が起きることも珍しいことではありませんでした。そうした喧嘩の中でももっとも規模の大きかった喧嘩が「八…
火事場での彼らの役割はというと、頭は火の勢いや風の方向を見て、「ここで食い止める」という場所を見定めます。何度もいうように「破壊消火」なので「消し止める」ではなく、火事場から風下の一点を定めてその場所の建物を破壊し、火をこれ以上大きく拡げ…
町火消全体をを統率するのが「頭取(とうどり)」で、「頭(かしら)」がいろは各組を率います。その下の「纏持」「梯子持」「平人(へいにん、ひらびと、とも)」「人足」で構成されていました。 火事が起きると彼等は刺子半纏(さしこばんてん)を羽織り、…
それぞれの組の纏を見ていると「この様々な形の陀志(だし)の部分は何でできてているのか」が気になります。プラスチックや発泡スチロールはおろかセルロイドさえもない時代(たとえ有ったとしても火に弱そうでとても使い物になると思えませんが)、木材か紙…
四谷にある消防博物館には各組の纏がずらり勢揃いしていますが、前回ご紹介したように白黒の二色しか使われていません。大名火消や定火消が用いる纏には華美な彩色が施したものがありましたが、町火消には許されなかったのですね 各組の陀志の形の違いがよく…
当初は「纏幟(まといのぼり)」という、まさに戦国時代の騎馬武者などが背負った旗指物のような幟形式(のぼりけいしき)のもので、火事の際に出動する区域や心得などが書かれていたそうです。 時代劇で見るような形になったのは享保十五年(1730)のことで…
最初からこの組織が上手く機能したかというと、そうではなかったようです。これは「1町につき30人ずつ」といっても町ごとに人口も広さも異なっていたことや、火元に基づいて出動する地域割りに非効率な部分があって混乱が生じることが多かったとか。これを踏…
時代劇で江戸の町屋の火事を消火するシーンには、「い組」とか「め組」とかの名称が出てきます。これが「町火消」といわれるものです。八代将軍吉宗の時代の享保二年(1717)に儒学者荻生徂徠(おぎゅう そらい)などの進言を採り入れて、南町奉行の大岡忠相(お…
消防博物館に火消人足が使用していた「刺股」も展示されています。 消防博物館の展示 上部の横に長いのが「刺股」 下に置かれている「竜吐水」の横木が2.5mくらいなので、上に吊るされている「刺股」の柄の長さは5mといったところです。直径も15cmくらい…
「破壊消火」は火元を消すのではなく、周囲の建物を破壊して延焼を防ぐ方法であることは何度か述べました。家屋などはいくら壁を壊しても全体としては壊れないので、手っ取り早いのが「柱を倒す」ことです。 中心となって家屋を支える柱を「大黒柱」と呼びま…