跡目を妹婿に譲り藩の職を辞したのは、約1年の長崎留学の後ということから宝暦三年(1753)頃ではないかと考えられます。その後、京都・大阪で学び、江戸へ出たのが宝暦六年(1756)のこと。神田の田村藍水(たむら・らんすい)の下で本草学を学びます。本草…
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