暗がりに入ると、前方にどんぐりの実ほどの穴が光っている。
百二十一の枕木を、弥吉は、背の高い主人のあとからかぞえて歩いた。一つをすぎると、すぐにまたトンネルがきた。(中略)二つのトンネルをくぐって、ようやく山のとば口へ出たが、弥吉は、竹部が心もち猫を負って枕木を数え歩く背姿をみていると、この人は、何年このトンネルを歩いたか、と感慨をおぼえた。そのことは、やがて桜山へきて、大きな山桜が、幾千本と、滝のある渓谷をせりはさんでいるのをみた時にも感じた。
笹部さんはこの場所で、山桜、里桜を30品種、5,000本を植え、品種改良、育成に努めていました。小説の主人公、弥吉もその役割を担う園丁の一人だったわけです。
当時はこの線路を実際に汽車が走っていましたから、汽車に出くわすと線路わきに寄って列車が通り過ぎるのを待っていたことでしょうか、トンネルではそうはいきません。
「時間表を暗記しとらんとなァ。トンネルの中で汽車に会うて(おうて)しまうと大変です」
と竹部はいった。この時。もしトンネル歩行中に列車が入ってきたら、走ったりしてはいけない、すぐに、線路から左右どっちかの壁にへばりついて、眼をつぶって列車の通過を待つべきである、と教えた。
が、ある時、二人で演習林から武田尾の駅に戻るため、線路上を歩いていた時のこと。
トンネルに入ったのは五時だった。とつぜん、けたたましい警笛を鳴らして臨時が走ってきた。時間表にない臨時には、福知山の連隊を出たらしい兵隊がつまっていて、ふたりは、すぐに二十三番の壁へへばりついた。ところが、列車をやりすごして外へ出ると、顔も手もまっ黒だった。煤が立ち、水滴で汚れた壁へ、腹もろともしがみついたからたまらない。
「えらいことになった」竹部はは、弥吉をふりかえって、「ついでや、たまやへ行ってひと風呂あびて帰りまひょ」といった。
ふたりは、武田尾温泉の鉱泉宿「たまや」でひとっ風呂浴びた後、あまごの天ぷらで夜食をとるのですが、この時給仕にきたのが、のちに弥吉の妻となる園(その)でした。
竹部の口利きもあり、弥吉は園と結ばれるのですが、その話は次回で。