おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

「櫻守」を歩く4

近在の「切畑」という集落から、鉱泉宿に勤めに出きていた園は二十四歳。竹部の演習林とは意外な縁がありました。

 

「あんた、うちの山知ってはりますのんか」

「・・・小っちゃいじぶんから、トンネルくぐって、桃やらあけびやら、さくらんぼとりに、むかしは学校からすぐ、竹部山へあそびにいったりしたもんどす」

演習林=亦楽山荘 の案内地図 園の幼少期の遊び場でもありました

「あんたが犯人やったんか」

竹部は奥に金冠ののぞく口をあけて大笑いした。別に、この日、園というこの女中が、ふたりに、ふかい印象をあたえたわけでもなかった。帰りしな、玄関へ送ってきた古株の女中から、

「ええ娘さんどっしゃろ、先生。・・・あの娘、未亡人どっしゃ」

といわれて、竹部も、弥吉も、びっくりしている。

 

これが夏の終わりごろの話で、弥吉は演習林での仕事にも馴れだした秋口に、出入りしていた大工から、園の身の上を聞かされました。切畑から三田(さんだ)に嫁にいったのですが、一月半で夫が招集され、南京で戦死してしまったというのです。大工の清水は弥吉に冗談のように

「どうやな、北さん、あんた、ひとつ男になってやったら・・・」

といい、一方で竹部にもその話を勧めます。

「北さんにもろたげたらどうでっしゃろ」

弥吉がまともに顔を赤くしてだまったのをみて、竹部はこの話をあたってみてくれないか、と、土地の顔役でもある清水にたのんでいます。

弥吉が二度目に園にあったのが、やはり「たまや」で、十月十日のことでした。桜山の秋を見物したあとで、「たまや」での小宴会となりました。

「亦楽山荘」の紅葉ビューポイント(写真は春先の景色ですが・・)

桜山は、なにも花の咲く四月だけが見どきとかぎったものではない、秋の桜もまた一見の価値があるというのは竹部の持論で~中略~岩と岩は型のよい組みあわせをみせ、南何段もの瀬をつくって下方へゆるやかに傾斜している。水は、ところどころに小滝をつくり、瀬をつくり、淵をつくりして、線路の下をくぐって武庫川へ落ちていた。

山林の中に清流が流れ、小説の通りの景色が拡がります

宴会に出ている人々は財界や新聞界のお偉方などで、酒の飲めない弥吉は話のできる相手もなく、しゃちこばって皆を見ているばかり。そこへ、ときどき園が顔を出し、眼があうたびに弥吉はまごつき、園は、弥吉と視線があえば眼を伏せています。

 

宴会のあった翌日、山荘で竹部と弥吉が二人きりで、木切れに桜の名を書いて枝にぶら下げて歩いていると

「どうやら、あの娘は、北さん、あんたが好きなようや」

というと、園と一緒になってはどうか、と勧めます。この時の会話にたとえ話のように桜の話がでてくるのですが、ここはぜひ原作で鑑賞いただければと思います。(現在の感覚からすると時代錯誤な表現、となるのかも知れませんが、そこは時代背景を考えてご鑑賞ください)

とんとん拍子に進んだ話で、二人は山桜が満開の四月十日に結婚式を挙げます。この話は次回に。