延宝八年(1680)に将軍となった綱吉、先に述べたように大老であった酒井忠清を辞職させ(実質的には解任・罷免)、老中であった堀田正俊を後任の大老に就けました。正俊の養母は春日局、妻は春日局のひ孫にあたります。酒井忠清が宮家の将軍を推したのに対…
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