笹部さんの武田尾の演習林は、大阪から40分足らず宝塚線(福知山線)「武田尾」駅から徒歩10分くらいのところに入口があります。この徒歩ルートというのが、旧福知山線の廃線跡をたどる、味のある遊歩道です。
宝塚駅から10分足らずでこの山間の駅に着きますが、もともと武庫川沿いを通るルートに線路がありましたが、昭和六十一年(1986)に現在のルートに架け替えられ廃線となりました。現在、宝塚の一駅先の「生瀬(なまぜ)」駅から「武田尾」駅間の約5Kmがハイキングコースとして整備されています。
今回は、小説の舞台通り、武田尾駅から演習林までの、このコースのごく一部を逆方向に歩きました。レールは取り除かれていますが、枕木がそのまま残っているので、線路跡というのが一目瞭然です。
「櫻守」には戦前・戦中から昭和三十九年(1965)の主人公弥吉の死までが描かれていますから、この時期、福知山線は旧ルートを走っていた時期です。
この演習林について、次のような記述があります。
武田尾駅にとまる国鉄は単線だったが、川際すれすれに、崖のトンネルを二つくぐっている。演習林は、このトンネルの上にあるので、一どは線路をまたがねばゆけない。竹部は弥吉をつれてきた時に、
「汽車の時間表をようしらべといて、駅員さんにたのんで、線路を通らしてもろたがよろしおっせ」
この記述のあと、実際に竹部と弥吉はこのトンネルを歩いて演習林に向かいます。
ホームが切れるとそのまま線路に降り、枕木づたいに演習林の入口まできた。線路はゆるやかなカーブで、五分ほど歩くとトンネルに入ったが、そこは、急流で崖がえぐれていた。
「二十三番トンネルで、枕木のかずは百二十一です」
演習林へのトンネルは2つあって、それぞれ枕木の数は百二十一と九十八と記されています。実際に歩きましたが、枕木の数を数える余裕はありませんでした。数を数えるのは、トンネルの出口まであとどれくらいか見当をつけるためでしょう。
このあとも二人が線路を進む記述が続きますが、それは次回で。