寛政五年(1793)、定信は将軍家斉と父一橋治済の意向に真っ向から反対、退けました。30歳半ばの老中が20歳そこそこの将軍を諫めたやりとりを「続徳川実記」は次の逸話を伝えています 怒った家斉が傍にいた小姓から刀を受け取り、定信に斬りかかろうとするそ…
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