慶長十四年(1609)に江戸幕府は金1両=銀50匁(目)=銭4貫文(4000枚)と定めました。これを御定(おさだめそうば)といいます。つまり金銀銭の交換比率を固定化させたわけですが、これが形骸化します。 というのも、江戸を中心とする東日本では金が流通す…
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