おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

浪花ともあれ 先立つものは銀

慶長十四年(1609)に江戸幕府は金1両=銀50匁(目)=銭4貫文(4000枚)と定めました。これを御定(おさだめそうば)といいます。つまり金銀銭の交換比率を固定化させたわけですが、これが形骸化します。

というのも、江戸を中心とする東日本では金が流通するのに対して、大坂・京都を中心とする西日本では銀が流通、更には、一般的に流通するのが銭、という実態があり、その需要と供給のバランスによる変動相場に変わっていきました。(ただし北陸・東北地方は銀が流通していました。海運により大坂経済の影響が強かったためでしょう)

金では天下は回りまへん! 江戸前期の小判(大阪造幣博物館)

佐渡甲州などの金山が東国、石見や生野など銀山が西国にと、有力な産出地が東西に偏っていたことに加えて、海外との貿易に関係があります。「鎖国」という言葉が教科書から無くなったそうですが、交易のあった中国(明・清)では銀本位制がとられていたこともあり、交易には銀が使用されていました。

このように、一国の中に金銀銭という三つの通貨が成立し、その間で相場が変動していたのが江戸時代でした。わかりやすく言えば、日本国内で円とドルとユーロが流通している状態です。

そうなると、今や空港だけでなく、街中にも見られるようになった為替を両替する店が必要になってきます。これが「両替商」です。三通貨をその時の需要供給に合わせて交換する必要があるのですが、「両替商」のシンボルとなっている器具が「両替天秤」というもの。

両替天秤(尼崎信用金庫:尼信会館)

現在の円・ドル・ユーロを両替するのにこんなものは使用しませんが、当時は小判・丁銀という貴金属の現物を交換するわけで、そのために重さをはかるための器具が必要だったというわけです。

それも、銀が目方を定めて通用する秤量貨幣(しょうりょうかへい/ひょうりょうかへい、とも)だったからですが、この耳慣れない言葉のご紹介については次回で。