おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

はんじょう 頼んまっせ 天(地)神 揃う3

その「一言」とは

どこに行ったら上方落語が聞けるんですか?ってよく言われるけど、それぞれの会の事しか言われへんし、その時に客も来られへんかもしれんし、戦前のように落語の定席があったらええけどなぁ

会長個人としては、吉本の売れっ子芸人「桂三枝」として劇場に立ってきたこともあり、切実に劇場が欲しいとは思っておられなかったそうですが、200人を超える協会員の多くは「定席」を熱望していると感じ、「落語の定席づくり」を次の目標に持ったのでした。

うめだ花月ポスター(落語みゅーじあむ)

しかし、大阪には漫才を中心とする劇場が既にあり、吉本・松竹の芸能事務所が劇場を経営しており、新たな劇場は既存の劇場のライバル、お客の取り合いになることも考えられ、それら芸能事務所との折り合いが必要でした。

更に、劇場を作るには場所、土地が必要です。三枝会長が目を付けたのは、商店街の中でシャッターの閉まった商店。当時から「シャッター商店街」の言葉が新聞やテレビで取り上げられるようになり、「空き店舗の活用」に対して行政から補助金が受けられる制度が設けられていました。

閉まった商店を活用し、補助金を受けながら60~100人くらいの小規模の寄席を立ち上げ、そこで育った若手落語家を吉本や松竹に使ってもらう、これなら実現可能ではないか、そう考えたのです。

閉まった商店探しが始まります。が、規模的に良さげな商店があっても、商店街の人通りがまばらすぎて集客が期待できず「これでは寄席が維持できない」と失望を感じて視察を終える、ということが続きました。

商店街の中に寄席を作る手はもう無理か、諦めかけていた三枝会長に、新たな話が持ち掛けられました。

天神橋筋商店街の会長さんに会ってみませんか?

繁昌亭設立までの話、続きます。