おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

はんじょう 頼んまっせ 天(地)神 揃う2

平成十五年(2003)7月に桂三枝師匠(現六代目桂文枝)が六代目会長に就任してから、落語定席建設への大きく動きました。噺家の「想い」が具体的な「かたち」へと変わっていきました。

天満天神繁昌亭のホームページ内の「繁昌亭とは?」をクリックすると、「天満天神繁昌亭・発端」という六代目桂文枝師匠の名文が目に入ります。この題名が「島之内寄席」のところでご紹介した上方落語の演目「東の旅・発端」から採ったものであることはいうまでもありません。当事者であった師匠の言以上に雄弁なものはないのですが、その名文をかいつまみつつ解説を加えながらご紹介していきたいと思います。(ここから当時の名乗りである三枝師匠で統一します)

一以之貫 らくごみゅーじあむ展示より

翌年平成十六年(2004)8月、社団法人化して正式名称が「社団法人上方落語協会」としています。三枝師匠の文章で言うと

 

会長就任後、まず私のとりかかったのは、それまで10年かかって出来なかった社団法人化の話だった。

当時の河合隼雄文化庁長官へご相談に上がり、社団法人化に向けて大きく進んでいった。

設立許可証は会長になったあくる年に頂く運びとなったのである。

 

解説を加えると、それまでの上方落語協会は法人ではなく「人格のない社団」「権利能力のない社団」というものでした。わかりやすくいうと、町内会やPTAのようなもので、団体として行う収益活動等に制約がありました。この法人化により法人としての事業などを行っていくことができるようになりました。

一方で手続きが煩雑になる等で内部的に反対の意見(大阪人は政府・行政から口出し・関与されるのを嫌います)もあったものの、会長の「顔」で協会をまとめ上げ、わずか1年で法人化を果たしたのでした。

この段階で三枝師匠は以下のように述べておられます。

私はそれで協会の会長としての仕事をほとんど終えたように感じていた。

が、これでは話が続きません。続けて

だが、ある協会員の一言で私は次なる目標を持った。いや持ってしまったのだ。

と。三枝師匠と協会の奮闘が続きます。