「群書類従」を開いたページを見ると、文字が整然と並んでいる印象を受けます。右のページの最終行が半分隠れていますが、左右のページの行数はそれぞれ10行となっています。縦の文字は20文字。(一部異なるものもあり)

版木の大きさは横470mm×縦230mmあり、一縦20文字×横20行ということになりますが、これは400字詰原稿用紙と同じレイアウト。諸説あるものの、原稿用紙の起源はこの版木(版木の元となる清書段階の原稿も同じですが)にあるといわれています。

上の写真にのあるように、原稿用紙中央の文字の記されない一行は、原稿用紙を折り曲げるマチ(余裕)の部分となっています。現在でも小中学校の文集などは原稿用紙を山折りにして「和綴じ本」と同様に綴じられますよね。上の群書類従の山折り部分にも、巻数や頁(丁)数が刷られていますね。
先走って「群書類従」の話をしてしまいましたが、予行版ともいえる「今物語」出版の時点ですでにこの方式は完成されています。そして保己一はその門人、協力者たちと本格的に「群書類従」出版に向けて取り組んでいくことになります。
その編纂の協力者の一人に浄聖院亮衍(じょうしょういん りょうえん)がいます。亮衍は上野国群馬郡下田野町(現群馬県吉岡町)の修験者(山伏)であり、また蔵書家・国学者でもありました。彼の蔵書も「群書類従」に使用されているだけでなく、本人が「群書類従」の編纂に参加しています。
寛政四年(1792)、その亮衍が保己一に「幕府に願い出て和学(国学)を研究し教育を行う施設を設立したらどうか」と勧めました。保己一もその意見をなるほどと思い、翌年2月に「和学講談所」と文庫の設立とその借地を幕府に願い出て、4月その許可を受けています。
保己一の新たな活躍の場となる「和学講談所」設立についての話は次回に。