田沼親子は父意次が老中、息子の意知が若年寄という幕府の重職に就いていましたが、親子でこうした役職にあることは通常はないことです。というのはこうした役職は譜代大名から選ばれるのが通例ですが、意次は現役の大名であり、意知は世子ではあるものの、…
前に触れたように、斬りつけられた意知は、事後の治療処置のまずさもあって8日後の4月2日に亡くなり、翌日佐野は切腹を命じられ自害しました。与えた傷が治らぬよう、獣の血とトリカブトの毒(附子)を刃に塗っていたといいますから、佐野は周到に用意を行っ…
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