染井霊園を後にして、染井通りを駒込駅方面に戻る途中、交差点を左に折れると公園が見えました。「染井よしの桜の里公園」とあります。平成21年(2009)に銀行の跡地を取得し、ソメイヨシノの他、オオシマザクラ、エドヒガンザクラの樹が植えられている他、隣接した敷地ではソメイヨシノの苗木を育て、各地に広めているそうです。
公園の先に、染井の里の鎮守、「染井稲荷神社」があり、関東大震災や太平洋戦争でも被災しなかったことから、火防のご利益があると崇敬を受けているそうです。
その隣に「西福寺」があります。境内を入って右に「染井吉野の里」と記された石碑が。
案内板にもあるとおり、境内の墓地に伊藤伊兵衛政武のお墓があります。父の三代目がツツジの大ブームを生み出したのに対し、四代目は楓(カエデ)の品種改良で一大ブームを巻き起こしました。
元々この伊兵衛政武が染井吉野の交雑・育成を行ったという伝承がありましたが、約30年前、改めて染井吉野の育成者は政武であるという論文が発表されました。
①明治初年に小石川植物園にソメイヨシノの古木(原木は枯れ、現在は子孫が残る)があり、1765年以前から植えられていたこと
②18世紀中ごろまで、園芸植物の交配は伊藤伊兵衛一家の独壇場であったこと
③1720年頃、八代将軍吉宗が、飛鳥山に桜(当時は山桜)を移植した際、伊兵衛も関わっていること
④幕府直轄の小石川植物園に当時としては無名の雑種の桜(今と異なり、山桜が王道の時代です)を植えるだけの人脈のあった人物としては政武以外に考えられない
というものです。
伊藤家は各種の園芸書を遺していますが、桜については残されたものはありません。政武の時代は、山桜こそ桜、との風潮が強くそれほど高い評価が得られなかったのかも知れません。しかし、育成から半世紀以上たって大きく評価され、現在に至るまでソメイヨシノは桜の王として君臨するのでした。
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