おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

善え樹を養う~横綱の松~7

行事、木村宗四郎が闘病の末、死出の旅にたった際、病床の枕元には、白木のままの軍配がありました。これは、いつか立派な漆塗りに仕立てて晴れの土俵に立つよう、贔屓筋から送られたものでした。

f:id:tadakaka-munoh:20210830225947j:plain

白木の軍配の由来が語られます

遺された奥さんは、この軍配を見るたびに、亡き夫の無念を思い涙するのでした。軍配を善養寺に納めることを申し出ます。住職は奥さんからこの軍配を受け取り、柄に「六代目宗四郎未完遺品」と書き記して文庫に納めました。

それから6年の時が流れた6月のある日、たまたま、副立行事の式守伊三郎がこのお寺を訪れます。伊三郎を迎えた住職は、話のつてに、と思い、文庫の奥に納めていた軍配を取り出して、寺に納められたいきさつを話し始めました。

伊三郎はその話に聴き入ったかと思うと、瞼からあふれる涙をぬぐっています。住職は何事かといぶかりながら、今度は伊三郎が話し出した昔話を聴きます。

行事の修行の厳しさに挫けそうになっていた私のことを、宗四郎師匠は父代わりとなって、どれほどのご恩をこうむったことか・・・

f:id:tadakaka-munoh:20210830232516j:plain

今は亡き師匠の軍配を見た伊三郎は・・

亡き親方の遺品の軍配を手にすることができたのも仏様のお引き合わせかと思います。自分に代わってこの軍配を三役力士の取組の際にかざしてくれ、という親方の声を聴いた気がいたします。秋の本場所、蔵前国技館の土俵で、親方への手向け代わりにこの軍配を使わせていただけませんか、と言います。

住職も、それは又とない供養になること、と涙ぐみながら思いつつ、白木のままの軍配では、副立行事が三役の土俵を裁くには粗末で国技の格式にそぐわないのでは、と思い、いったんはこちらにお任せください、と涙ぐみながら答えます。

それから三か月の間、とはいったものの、住職はどうしたらよかろう、ともどかしく時を過ごします。ついに九月場所が始まりました。蔵前国技館では、隅田川からの風が幟をはためかせて、ふれ太鼓が鳴らされ、たくさんの人が向かっています。

住職は、伊三郎に招かれ例の軍配を持参して国技館を訪れます。白木の軍配を押し戴いて伊三郎は行事部屋へと消えていきました。

報恩軍配物語、次回がラストです。