おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

テレ日是好日5

先に完成までの日程を述べてしまいましたが、東京タワーは芝公園内に建っています。日本電波塔株式会社は、この公園内の土地を建設用地として入手しています。設計上では塔を支えている四本の脚(塔脚)の間隔は、約八十八メートルあるので、この真下の部分だけでも二千四百坪が必要ですが、周りの空白地も含め、取得した土地の広さは七千坪弱ありました。

芝公園は明治六年(1873)に浅草公園、上野公園、深川公園、飛鳥山公園と共に開園した、日本最初の公園のうちの一つで、芝増上寺の境内の一部でした。

f:id:tadakaka-munoh:20220121234108j:plain

増上寺

増上寺といえば、徳川将軍家菩提寺として知られていますが、明治時代にその広大な境内の一部を芝公園としたのです。

電波塔の建設予定地は、太平洋戦争前には社交倶楽部や料亭などが建っていましたが、戦争で焼失、空地となっており、都心でかつ、十分な広さのある好立地でした。

f:id:tadakaka-munoh:20220121234601j:plain

増上寺と東京タワー

工事開始の昭和三十二年(1957)といえば、敗戦の焼け野原から十二年しか経過していません。東京は三十数年前に関東大震災に見舞われており、その規模の地震に耐え、また毎年のようにやってくる台風にも耐える強度が必要です。

その設計を行ったのが、早稲田大学教授で建築構造学。耐震工事の権威として知られた内藤多仲(ないとう・たちゅう)でした。大正後期から実際に設計に「耐震壁」を導入し、彼が構造設計を行った建物は関東大震災でもほぼ無傷で残り、彼の耐震理論の正しさが証明されています。

更にラジオ放送開始にあたって、愛宕山JOAKの放送用鉄塔を設計したのも彼でした。その他名古屋テレビ塔や、大阪の通天閣(戦後建設された二代目)などを含め、生涯でラジオ電波塔約六十本、テレビ電波塔四本を設計しています。人呼んで「昭和の塔造り」「塔博士」。彼に設計者として白羽の矢が立ったのはごく自然なことでした。

東京タワーの話、続きます。