おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

テレ日是好日4

日本テレビの開局の二年後の昭和三十年(1955)に、ラジオ東京テレビ(現TBS)が放送を開始、その後全国各地に民放テレビ放送局が開局していきます。

テレビが大衆の娯楽になる、ということは街頭テレビの状況を一目すれば明らかなことでしたが、それが一般家庭の中に浸透するにはいくつかの壁がありました。一つはテレに受像機の価格の問題、もう一つは電波の問題です。

当時、テレビ・ラジオの放送事業局は、各々が自局の電波塔を建設し、そこから電波を発して放送を行っていました。それらの自前電波塔の高さは153~177M、これでは電波塔の高さが足りず、東京都下には電波が届いても、千葉・埼玉・神奈川の全域には届かないという状況でした。

また、テレビがきれいに映るようにするためには、テレビ受像機のアンテナを電波が発せられる方向に向ける必要がありました。これはアンテナに指向性があるためです。ということはチャンネルを変えるたび、その放送局の電波塔の方向にアンテナを調整する不都合が生じます。

これらの不便を解消するために、テレビ・ラジオの電波塔を一本化した巨大な総合電波塔の建設計画=東京タワー建設計画が持ち上がったのです。昭和三十二年(1957)五月に日本電波塔株式会社(「日本電波塔」というのが東京タワーの正式名称です)が設立されました。

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日本電波塔(愛称が「東京タワー」)

六月二十九日に地鎮祭を執り行い、工事は着工します。この時期には設計図は作成途中でしたが、約二週間後には設計図も完成し、九月二十一日には、脚第一柱が設置され、定礎式を挙行するまでに至ります。なんとその一年三か月後の十二月には完成式を行うというスピードで建設されるのですが、そのあたりのお話は次回以降で。