おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

テレ日是好日7

高さの仕様変更は、電波塔の構造計算をやり直すことになります。今ならばコンピューター(スーパーコンピューター含む)を使って、シミュレーションを行えば簡単なことなのかもしれませんが、当時はコンピューターはおろか計算機すらありません。

計算も設計図の作成も手作業で行いました。「計算尺」の実物は見たことはあるものの、どのように使って計算を行うのか私は全く知りませんが、この当時はそれが大活躍したようです。工事着工後に設計図が完成した、というのにはそうした経緯がありました。

鉄骨の組み立ても、ワイヤーのついた起重機で各部分の鉄骨を吊り上げ、職人の勘で鉄骨同士の所定の穴を合わせ、更にその穴を仮締めしたのち、その後リベットで接合するという方法を採っています。約900度に熱したリベットを空中で受け取っては穴に差し込み、脚側を叩き潰して接合する作業を四人一組で行っていたそうです・

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金地院境内から東京タワーを見上げる

この作業により、職人たちは朝の六時から夕方六時まで働き続け、一日に400~500本のリベット接合が進んでいきました。このあたりのいきさつは、過去プロジェクトXでも取り上げられました。が、鉄骨の組み立てが始められてから約三か月、順調に進んでいた作業が一時ストップします。四つの塔脚から斜め上に組み立てられた鉄骨を高さ40Mのところで、水平の梁(これも鉄骨)でつなぎ合わせる必要がありました。その鉄骨が予定通りにはまらず、原因がわかるまでの一週間、工事はストップされました。結局鉄鋼角加工段階でのちょっとした狂いが、わずか15ミリのずれを生じさせたことがわかり、リベット接合するための穴を微調整し、作業を進めていきました。

この作業が終わり、鉄塔の土台と基礎部分が定まった時、年は昭和三十三年(1958)に改まっていました。