おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

象する吉宗4

碑文の文章をそのまま紹介すると芸がない(前回はまさにその状態)ので、後半はかいつまんで・・。

尼崎を出た一行は大阪で三泊しています。上方ではおびただしい見物人が象を見物したことが記録に残っています。享保十四年(1729)といえばこのブログでも触れた「堂島米会所」が幕府公認となる一年前ですが、天下の台所を歩く象を浪花の商人たちがどのような目で見ていたのか興味深いところです。

一行は「天下の台所」・大阪の街も進んでいきました(写真は大阪歴史博物館

そのまま陸路を京都へ進みますが、途中の枚方(ひらかた)と伏見でそれぞれ一泊しています。大阪の狂歌師、油煙斎貞柳(ゆえんさい  ていりゅう、鯛屋貞柳とも)は、「細き眼で ふりさけ見れば 故郷の 象山とやらに 出でし月かも」と詠みました。

これは百人一首でも知られた阿倍仲麻呂の歌、

「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」をもじったものですが、ちょっと枚方宿での象の行動をご紹介して解説します。

枚方の宿からは「萬年寺山」が見え、それが故郷の「象頭山」に似ていたことで故郷を思い出したのか、象は一筋の涙を流したといいます。それを日本から唐に渡り、故郷を偲びながらも帰国できなかった阿倍仲麻呂の心情になぞらえて詠まれた狂歌だそうです。歌自体は単なるもじりですが、象のおかれた境遇を考えると深みが増しますね。

4月26日、伏見を出てついに京に入ります。ここで時の帝、中御門天皇の御覧に供されました。無位無官では宮中に参内できない、ということで、「従四位」に叙せられ、「江南従四位白象」の名が付けられました。ちなみに祇園祭の時にお稚児さんに与えられる位階は「正五位」なので、それより上の位階です。

4月28日、化粧を施された象は宮中に参内し、中御門天皇に拝謁しました。午前10時ごろ参内した象は、天皇の前で前足を折って頭を下げる仕草をした、と伝えられます。

宮中での象の話、続きます。