和尚さんが、あり合わせのお茶のもてなしをしている間に、夏空はかき曇って夕立が降り、雷鳴が轟き始めます。
足留めの間和尚は説法などをしたところ、武士は「我こそは江州彦根の城主井伊掃部頭直孝なり、猫に招き入れられ雨をしのぎ貴僧の法談に預かること是れ偏に仏の因果ならん。以来更に心安く頼み参らす」(私は近江彦根の城主、井伊直孝。猫に招かれ、雨宿りができただけでなく、和尚のありがたい説法も聞くことができ、これは仏様の導きによるものでありましょう。これからもよろしくお願いいたしたい)と喜び帰っていきました。
その後、弘徳院は井伊家代々の菩提を祀るお寺となりました。豪徳寺の名前は、この時に訪れた直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」から取ったものです。しかし、元のお寺の名前が「弘徳院」なので、そこから「豪徳」の地をあてて戒名にした、のではないかと。
和尚はその後も猫を可愛がり、亡くなった後は墓を建てて冥福を祈ったといいます。豪徳寺には招福殿(招猫殿とも)があり、たくさんの招福猫児(まねぎねこ)が参詣者を迎えてくれます。
商家によくある招き猫と異なり、小判を携えていません。機会は与えてくれるものの、その先は本人の努力次第、ということです。猫が招き、直孝を呼び込んだとしても、和尚の説法が実りあるものでなければ、豪徳寺は存在していなかった、普段の和尚の人徳あっての招福であった、という意味もありそうです。
招き猫の話はこれまで。お付き合いいただきありがとうございました。
次回以降は、吉良氏にまつわるもうひとつのお話、「鷺草伝説」と奥沢城(現在の九品仏)をご紹介していきます。