江戸時代、アジサイの品種改良に人生をささげた「紫陽花爺」という人物がいた、となれば盛り上がるところですが、残念ながらそういう人物は調べても見当たりませんでした。というのも、アジサイが鑑賞用の園芸植物として日本でもてはやされるようになったのは、戦後のことのようです。
江戸時代末期、日本に来た西洋人が驚くほどの園芸文化を誇っていたわけですが、アジサイについての記述はわずかなようです。
そういえば、アジサイを詠んだ和歌や短歌も思いつくものがないような・・(単に知らないだけ、という可能性もありますが・・)
何しろ花言葉が、「移り気」「浮気」「冷酷」「無常」。これでは人気の出ようがないような・・
もうひとつの有力な説として、アジサイは育てやすく、簡単に株分けして増やせることから、花卉を扱う植木職人がアジサイを扱いたがらなかったから、というのもあります。
一方で、お寺の境内にはアジサイが咲いていることが多く、この季節、アジサイの名所として京都・奈良・鎌倉などの名刹が取り上げられます。実は、アジサイの咲く雨の季節は、疫病などで亡くなる人の多い季節でした。この季節、供花として入手しやすい花がアジサイでした。そのためお寺では境内にアジサイを植えることが多かったのだとか。
日本ではそうした扱いを受けてきたアジサイは、ツンベリーやシーボルト以降、ヨーロッパに紹介され、かの地で品種改良されました。その西洋アジサイが大正時代に日本に逆輸入、今に至っています。
後世に正式な名前は残らまかったものの、シーボルトが愛した人の名前をつけ品種の子孫が、日本に帰ってきて人気を博している、、などと想像しながらアジサイを楽しむのも一興ですよ。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。次回は上の写真でも紹介した、松戸の本土寺などをご紹介していきます。